カテゴリー「教育委員会制度」の16件の記事

教育委員会の歴史(5) なぜ文部省は解体されなかったのか

 日本の教育委員会の歴史について、途中で止まっていました。申し訳ありませんでした。

 健康問題でした。
 じつは、心臓の手術を受けて、退院してきたところです。

 今療養中の身ですが、おかげさまで、日常業務から離れて書き物に専念できます。教育委員会の歴史について続けます。

なぜ文部省は解体されなかったのか

 アメリカが日本を占領したとき、すでに軍国主義一掃の方策はまとまっていて、解体すべき省庁のリストはできていた。内務省、文部省は、とうぜん、そのリストに載っている。内務省は秘密警察権力の元締め、文部省は軍国主義教育の元締めなのだから、眼をつけられるのは当然のことであろう。

 じっさいに、内務省は解体されてしまった。しかし、文部省は解体されなかった。

 この経緯はまことに興味深い。

 文部省が存続したことは、戦後教育行政の大きな分岐点の一つであり、その後への影響は大きい。このとき文部省がいったん解体されていたら、その後の流れは大きく違っていたであろう、とある文部官僚は述懐する。
 文部省が解体されなかった理由は、文部省がどのような官庁であるかを、よく示すものだと思う。文部省が解体されなかった理由を詳しく追ってみよう。

 1945年の終戦を迎え、文部省の方針転換は早かった。この最大の理由は、1945年8月18日、(終戦の3日後)東久邇内閣の文部大臣に就任した前田多門の政策にある。前田は、内務省から東京市助役、朝日新聞論説委員、ニューヨークの日本文化会館館長、という経歴の持ち主で、国際感覚と行政手腕を併せ持った人間である。

 前田文相は、いち早く、文化日本の建設を打ち出し、軍国主義の払拭にとりかかる。国際感覚を持つ前田にとっては、念願のチャンスが巡ってきたものである。
 前田文相はさっそく人事に手を付ける。文部省の局長クラスに田中耕太郎(東大教授)、関口泰(朝日新聞論説委員)、山崎匡輔(東大教授)という人たちを招聘して、文部省の指導層を一気に改革派に入れ替えた。こんな緊急時だからできたことである。

 とりあえず教科書にスミを塗らせたのもこのときの改革である。スミ塗り教科書はアメリカの指示によるとされることもあるが、そうではない。日本側の自主的な転換政策である。スミ塗り教科書はいかにも下策であるが、紙の手配もつかない状況では、やむを得なかったであろう。

 アメリカ側に占領行政の態勢ができて、教育における軍国主義一掃の指示が出てくるのは10月になってからである。
 その指示が出る前に、文部省は軍国主義一掃の基本的な方針転換を終えていた。

 アメリカ側は、文部省の転換を「改革の先手を打って、存続しようとする戦略だろう」と疑っている。しかし、その見方は違っている。前田は時代がよく見えている人間で、戦争が終わったのだから一刻も早く軍国主義を脱却しなければならない、という当たり前を実行していただけである。

 しかしながら、この前田改革のおかげで、結果的に文部省は「改革の先手を打って、存続する」ことが可能になった。従来の感覚で、アメリカ側の指示に抵抗しながら不承不承従っていたりしたら、あっけなくバッサリと切られたであろう。

 アメリカ側にしても事情がある。文部省を切りたくても、教育は、間接統治するしかないのである。占領軍が、学校を直接統治するなど不可能である。全国の学校に兵士を送り込み、銃を剥き出しにしたりすれば、抵抗運動に火をつけるようなものである。ましては、言語の壁がある。学校の教師たちがなにを教えようが、アメリカ人たちにはさっぱりわからないのである。全国5万に近い学校、40万人の教員、1600万人の生徒、これが反米抵抗運動の温床になったりするのはアメリカの悪夢である。

 軍隊や財閥は、解体すればそれでコトが済む。しかし、教育は解体してそれっきりというわけにはいかない。文部省を解体するなら、替わりの教育行政組織を作り出さなければならなくなる。

 実際にとられた政策は、文部省という中央省庁を分割したり、他の中央省庁に置き換えるというやり方ではなかった。教育を中央集権から、地方自治に転換するという方式をとった。この地方自治組織がすなわち教育委員会なのである。

 そのため、文部省の廃止は絶対に必要というものではなくなった。中央に文部省、地方に教育委員会と平行して別組織が存在することが可能であった。文部省は、権限縮小だけで済ませることができた。

 これが内務省の場合だと、建設省、厚生省、自治省などに分割したあとにも内務省が残るということはあり得ない。しかし、教育の場合は、地方分権にするという方針をとったために、アメリカ側は、文部省を実権のない援助機関とすることで足りるとしたのである。

 教育委員会はたいへんな難産で、なかなかすんなりと生まれなかった。生まれても当面は文部省に後見させないとやっていけないものだった。

 教育において、形式上は教育委員会が主役だが、実質的には文部省が教育の指揮を取っているという体制が、このときにできる。昭和23(1948)年のことである。

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教育委員会の歴史 番外編

 教育の歴史を調べていて、つくづく思うことがある。

 「何を教えるか」より、「ほんとうに子どもの感受性と観察力を尊重したのか」がはるかに重要であると。

 日本の戦前の教育は、小学生のときから「忠君愛国」を叩き込んでいた。それでさぞかし私心のない人たちが社会にあふれただろう、と思うと、とんでもない。「お国のため」をカサに着て威張りちらす人たちと、卑屈に権力者に迎合する人たちが、社会にあふれた。

 日本は無茶な戦争をやったあげく、1945年の敗戦を迎えた。日本人は「天皇陛下万歳」を叫んでいたから、アメリカに占領されても、激しい抵抗運動が起こる可能性はあった。そうしたら、あっさりと「マッカーサー万歳」を叫んだ。
 シベリアに抑留されていた人たちは、「スターリン元帥万歳」を叫んだ。

 アメリカやソ連がうまく日本人を支配したとも言える。しかし、権力に対して従順な日本人が育っていたから、うまくつけ込むことができたのである。
 なんのことはない、戦前の義務教育は、強い者に迎合することを教えこんでいただけのことである。

 戦後日本教育の最大の悲劇は、東西冷戦に巻き込まれて、文部省vs教員組合の対立を起こしたことだと思う。このときの国家側も教員組合側も、言うことが教条的だと思う。
 なんのことはない、戦前の教育は、党派的な結論を振りかざすことしかできない人たちを育てていたのである。その教育を受けていた人たちが、戦後に闘いを繰り広げた。 

 西欧の学校教育史は、教会と国家が教育権を奪い合った歴史である。どちらも相手の欠点はよく捉えている。
 「神」を敬うことを子どものときから叩き込んだらさぞかし敬虔で利己心のない人たちが育つかと思うと、「神」を持ち出してすべてを解決しようとし、宗教戦争を起こす人たちが育つのである。
 「国家」への忠誠心をもった人たちを育てれば、社会がさぞ良くなると思うと、国家権力に依存し、偏狭なナショナリズムを煽る人たちが現れるのである。

 教会だろうが国家だろうが、忠誠心を養成しようとする教育は、社会にとって破壊的である。

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教育委員会の歴史(4) 戦前の視学制度

 戦前の教育行政は、一般行政と分離していなかった。国の方針が、教育内容にそのまま反映していた。

 教育内容は、国定教科書によって定められていたが、もう一つ教育内容を統制するものとして視学制度があった。視学は、学校を巡回して学校の様子や授業を視察する役職であるが、教員人事にも発言力を持っていた。

 ある教員の体験記がよく実情を伝えているので、引用する。
 「ある教師の昭和史」 荻野末著 一橋書房 1970

<人事は「新聞辞令」>

 他校への転任については、これはその作業を視学官がすることで、「新聞辞令」が普通でありました。朝おきて新聞をみたら、自分はふっとばされていたというわけです。

 わたしは、新聞販売所の近くに住んでいたことがありますが、三月三十一目の夜になりますと、自分のつとめている学校ばかりでなく他校の教師もあつまって、終電車で朝刊のくるのを待っていたものです。
 はじめは、どこへとばされようとも、などと気炎をあげていた連中も、時刻が迫るにつれてひっそりとしていきました。

 終電車がつくと、いちはやく新聞販売所にとび、「新聞辞令」をみてホッとしたり、あるいは「こんちくしょう」「バカたれ校長め」と、くやしがりました。くやしがり悲しんでいるものがあったとしても、それをはねかえす連帯も組織もありませんでした。弱い者は泣きねいりをし、強いものも、せいぜい歓送迎会などで酒の力をかり、校長に毒舌を吐くぐらいのものでありました。

 その校長も、いわゆる大物はとにかく、おおかたの校長にいたっては、やっぱり新聞辞令組であったわけです、この元凶は視学官であったわけですが、じつはこの視学官を左右に動かすのは、上級官僚であり、ボス的在在の大物校長もそれぞれの地区にいて、「大御所」といわれ、校長や教頭になるにはこのせまき門を通過しなければならなかったし、視学官も、この「大御所」の意見をきかずには、だれかを校長にも教頭にもできなかったようです。(「ある教師の昭和史」 36~37頁)

<視学の来校>

 ある日、突然、視学がやってきました。
 校長は、茶をいれ、学校経営について概略説明して視学をすわらせ、間をとる──このわずかな間の時間に「視学来校」の小さなメモが小使さんによって各級へとぶ。こういうことは、視学来校のときはいつも同様でありました。

 …この日は、どういうわけか説明なしにわたしをよんで、「研究授業をやれ」ということでした。こういう場合は、校長か教頭に抜擢するための首実験か、思想や行動調査の一つとして、あるいはいじめる一手段としておこなわれるのがつねでした。

 わたしは、研究授業をやれと高飛車にいう視学に抗議することもならず、地理の授業をしました。題目は「アジア」、学級は六年生。

 (中略) 授業も、こういうところにくると、実際には子どもの理解はあいまいになってくるのですが、しかし、子どもたちとしては「なんとなく」うなずいてみせることが、ひとつの習慣となって、いかにも「帰一し奉る」雰囲気となるわけです。

 校長室でお茶をのんでいる視学に、おそるおそる「ありがとうございました」とあたまをさげると、「やあ、ご苦労、国民科としての統合、国民精神をもった統一した授業であった」と、たいへんごきげんで、賞賛されたことをおぼえています。

 この日は、さらに恥しい経験をさせられました。教室でつぎの授業をはじめているわたしを、校長は廊下によびだして、小豆をみつけてきてくれとたのみました。
 こういう視察のあった場合、米などの食料を「おみやげ」としてもたせることが校長としての常識となっていて、なかには、米がほしいなどと要求するものもあることが、一般的にしられていました。わたしは自転車であちこちの農家を走りまわらなければなりませんでした。(同書 46~48頁)

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教育委員会の歴史(2) 広義と狭義の教育委員会

 教育委員会。

 いったい、なんでしょう。わかりにくいですね。「行政委員会」という、政治の手が及ばないようにしてある行政機関なのだ、ということは前回述べました。

 さらにわかりにくくしている理由に、「教育委員会」という言葉が指し示す組織が二つあることがあります。それについて解説します。

****************************************

 「教育委員会」という言葉に、二つの意味がある。

 狭い意味では、数名からなる教育委員の合議体のことをいう。この合議体が、教育委員会の最高決定機関である。

 教育委員の合議体の下に、教育委員会事務局がある。地方の学校教育と、社会教育を管轄している。
 教育委員会は、公立学校の管理がもっとも大きな仕事であるが、他に図書館、博物館、スポーツ施設などの管理もしている。そのため、多数の常勤職員のいる事務局を持っている。この事務局を含めた機関が、広義の「教育委員会」である。

  ┌────── 教育委員会(広義) ───────┐
  │ ┌──────────┐              │
  │ │ 教育委員会      │ 教育委員会事務局  │
  │ │ (狭義)          │              │
  │ └──────────┘              │
  └──────────────────────┘

 事務局の長が、教育長である。教育長は常勤であり、その自治体の教育部門の実質的な責任者である。教育長は教育委員の一人である。

 おおざっぱに言えば、自治体の学校教育と社会教育を管理する部門が「教育委員会」と呼ばれていると考えればよい。 教育委員は、教育長を除いて非常勤である。教育委員の合議は、月1~2回程度行われることがふつうである。

 なぜ、このような組織形態を取っているのか、その歴史的経過はどのようなものなのか、現在どのような役割を果たし、どのような問題を抱えているのか、それを明らかにしていきたい。

 これから本稿では特に断らないかぎり、「教育委員会」は事務局を含んだ広義の意味で使うことにする。

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教育委員会の歴史(1) 行政委員会

 教育委員会は存廃も含めて、議論がなされています。

 日本の教育委員会について、広い視野から正確な資料を提供したく、拙著「変えよう!日本の学校システム」(平凡社 2006)から、教育委員会について書いた部分を、多少の補足をしつつ公開します。

********************

 教育委員会は、なんのためにあるのかわかりにくい組織である。ところが、この教育委員会がなぜ存在するのか、どのように機能しているのかを見ていくと、日本の教育の姿が浮き彫りになってくる。

 まず、教育委員会のことを簡単に見てみよう。「委員会」と名前がついているが、教育委員会は審議会のようなものではない。実態は、地方自治体の公教育と社会教育を管理している部門である。

 教育は、知事や市長が指揮できる一般行政とは分離させて、行政委員会の形にしてある。
 行政委員会というのは「独立性の高い合議制の行政組織」である。教育委員会に対して、知事も市長も指揮できない。

 教育が時の政治に左右されてはいけない。教育方針が政党や首長の色に染まってはまずい。そのため、地方行政から教育部門が独立し、教育委員の合議で運営されているのである。
 教育委員を政治的圧力から守るため、教育委員は任期の途中で罷免されないようにしてある。教育委員の下に事務局があり、教員人事、就学事務などの仕事をしている。

 行政委員会をなぜ作るかというと、「政治家の手が及ばないようにしたい」からである。このことは、日本に実際に存在している行政委員会の例を見るとわかりやすい。

 公正取引委員会。独占禁止法を運用している。これが、政党の手の及ぶものだったら、たちまち利権の巣窟になるであろう。

 労働委員会。労働者と使用者の粉争の調停にあたっているところ。ここは中立であることに細心の注意を払わないと、機能しない。

 選挙管理委員会。選挙運営に政治家が介入したら公正が保てない。中立の人たちが、政治の手の及ぽない組織を作って、選挙の運営をする。

 そして、教育の分野にも教育委員会という行政委員会を作っている。やはり、教育を政治から切り離すためである。

 教育委員会は、それぞれの都道府県にある。また、それぞれの市区町村にもある。仕事は、公立学校の管理運営と、社会教育、文化財の保護などである。

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教育委員会について本気で考える

 8月29日に、シンクタンク構想日本が主催する「JIフォーラム 教育委員会について本気で考える」にパネリストの一人として参加しました。

 構想日本代表の加藤秀樹氏が司会役で、パネリストの「教育委員会廃止論」の元志木市長穂坂邦夫氏、事業仕分けで活躍中の元教育委員会職員新倉聡氏、といっしょに言いたい放題を言ってきました。
 言いたい放題、といっても、よくあるように悪口を並べたわけではないんです。登壇した4人とも、事実に基づいてしゃべったことだけが通じるということを知っている人間で、何が問題であるか客観的に指摘しているんです。

 議事録が公開されています。読んでいただけるとありがたいです。日本の教育がいかに教育行政に制約されているかに関心のある方たちには、たいへん役に立ちます。

 加藤さんがはじめに、
「今日来ていただいた古山さんの言葉ですが、教育問題の本質は『中央集権型無責任体制』というのが、一言で表したわかりやすい言葉だと思います。」
と拙著『変えよう!日本の学校システム』の内容を紹介してくれました。

 そうなんです。
 昭和30年代から、文部省(当時)が実権を持ちつつ、形式的には教育委員会が責任者という『文部省院政体制』だったんです。そのため、ほんとうの責任者が誰なのかわからない。問題があったときにどこが責任を持って解決にあたるのか、わからない。
 現在、地方分権が少し進んだのですが、基本構造は昭和30年代のままです。

 時代は、もう、「教育」から「学び」に転換しつつあります。国が「~を教えなければいけない」なんて行政を通じて指揮しているような時代じゃなくて、一人一人がのほんとうに自分の学びに出会えたかどうかなんです。「教育」は、文化や技術の領域のものでして、内容は人々に任せるべきなんです。

 ついでだけど、私は大阪の橋下改革みたいな、別の権力で教育を監視するのには反対です。教育の本質は自治にあります。自分たちで問題を見つけて、自分たちで解決を考える。そうしないと、考える人間が育ちません。
 児童・生徒、教員、保護者、この三者が学校運営に参加する。行政は、その調整役に退く。それが学校のあるべき姿だと思います。

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大阪市教委と橋下市政

 大阪市の教育長が、大阪市長選挙で橋下氏が当選したあと、教職員の発言を「指導監督」するようにという通知を、校長や園長宛に出しました。
 教職員のどんな「不見識」の例があったのかは知りませんが、この通知はもっとまずいと思います。教職員一般の、橋下市政に対する批判封じとして働くからです。政治的には、大阪市教委が橋下市政への恭順の意を表した、と読めます。教育委員会は、教育を政治から独立させるための機関のはずです。

 批判の自由は大事なことです。自由に批判させる度量のないところは、問題のあるところが多い。
 大阪府教育基本条例が提出されている現在、当事者である教職員に自由に発言してもらわないと、現場の実情と意見がどうなのかがわかりません。「日教組が....」と言う人たちもいますが、大阪府の日教組組織率は20%くらいです。
 
 

 通知はつぎのようなものです。

教委校(全)第83号
平成23年12月28日
各 校園長 様
教 育 長

民意、選挙、公選首長と公務員、行政と政治についての基本認識の徹底について

去る11月27日の大阪市長選挙の後、本市職員が報道各社からの取材を受ける機会が多数生じておりますが、その際の本市職員の不見識な発言について、市民から厳しいご意見を頂戴しているところです。
本市の政策方針は市民の総意によって選挙で選ばれた市長及び議会が各々その権限を行使することにより決定されるものであり、また、市長は本市を統括し、代表するものです。
公務員である以上、これらのことを十分理解しなければならず、これに反する軽率な行為は、社会通念上も極めて不見識と評価され、本市の信用失墜に繋がるものであることから、厳に慎まなければなりません。
ついては、軽率な意見の表明や行動により本市行政に対する市民の信頼を損なう事態を招くことのないよう万全を期すため、校園長におかれましては、教職員一人ひとりに対し周知徹底を図っていただくとともに、指導監督に一層努めていただきますよう要請します。

(資料)
http://blog.goo.ne.jp/kimigayo-iran/e/86d1f087534c17941d200d0ab47965d4

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教育委員会の政治的中立と民意反映

 教育は、政治から中立でなければなりません。
 なおかつ、教育は、民意を反映しなければいけません。

 だからどうするかというと、政治とは別に、教育のための自治組織を作ります。それが、自然ですよね。

 教育委員会というのは、その教育のためだけの自治組織なんです。....もともとは。

 発祥の地アメリカでは、教育委員は住民によって公選されます。
 民意に基づいて選ばれた教育委員ですから、知事や市長にも指揮されない。それによって、政治介入を防いでいます。

 日本では、1948年にアメリカ型の教育委員会制度ができました。ところがこの制度の意味も理解されないうちに、1956年に教育委員の公選制をやめました。

 そのときに、「民意を反映しない教育委員会」という不思議な組織ができたんです。だもので、教育にいろいろ問題があっても、とにかく対応がよろしくない。

 そこで、大阪府教育基本条例みたいに、権限を首長部局に移そうとする動きができてきます。

 しかし、大阪府教育基本条例は危険だと思います。こんどは、教育が政治から中立でなくなってしまいます。橋下ブームみたいなのに、教育が巻き込まれてはいけない。

 教育行政は、政治から中立で、なおかつ民意を反映していないといけないのです。

 どうしたらいいかというと、方法が二つあります。

 1 教育委員を公選制に戻す。

 2 教育委員会を解体して、学校単位で自治組織を作る。学校ごとの協議会に校長任命権を渡す。

 どちらも外国に例があります。どちらでもいいのですが、教育というのは、親と学校のきめ細かい協力関係があるようにするのがいい。2の学校自治の方向に行くべきだと思っています。

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教育委員会 執行機関とチェック機関が一緒

 今度の原発事故で、原子力安全・保安院は原子力を推進する経済産業省の機関の一つなので、「執行機関とチェック機関が一緒だというのは良くない」という話が総理周辺から出ているそうです。(テレ朝ニュース 3.31 5:50)

 納得できます。組織面と予算面で分離していないと、どうしても利害共同体になってしまいます。

 「執行機関とチェック機関が一緒」ということでは、教育委員会がそうです。教育委員会は、公立学校に対して方針決定権も、人事権も、予算権も持っています。そして、学校に対するお目付け役でもあります。
 これは、いじめ、不登校など教育の問題がなかなか解決しないことが多く、うやむやに終わりがちなことの原因になっていると思います。

 学校の不祥事が見つかれば、それはそのまま教育委員会の不祥事になるのです。教育委員会が客観的なチェック機関になれるでしょうか。

 チェック機関を分離することが適切です。ただし、そのチェック機関は、文科省や自治体ではなく、できるだけ現場に持ってくることが大事です。本当のことは、受益者側にしかわかりません。
 親と生徒の代表を含む、学校ごとの評議会がよろしいと思います。
 校長任命者だけで固める現在の評議員制度ではいけません。

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どうなってるの!?教育委員会

11月30日発売の
「イミダススペシャル 時事力 2009」 集英社
の約70テーマの一つとして
「どうなってるの!?教育委員会」
と題した教育委員会論を執筆しました。

 一見開き(2ページ)の分量で、教育委員会の構造と問題点が把握できるようにしてあります。短いものなので、読みやすいかと思います。
 読んでいただければ幸いです

 要旨:

 日本の教育委員会は米国の制度と外見はよく似ているが、内実はまったく違う。米国の教育委員会に比べて日本の教育委員会は権限がたいへん弱いため、単なる事務局と化しやすい。

 戦後日本の教育行政は、”文科省暫定運営体制”がそのまま定着したものであり、それが責任者不在の体制を生じさせた。文科省、教育委員会、自治体の間で、責任体制が不明確である。

 現在の教育行政の最大の問題点は、保護者・住民に対して責任を追う仕組みが整備されていないことである。

 将来については、単純な存続論にも廃止論にも走るべきではない。存続させるなら、公選された教育委員による教育長任命の方向に行くべき。廃止するなら、学校ごとに運営協議会を作って、そこに校長人事権を渡す。自治体の首長に校長の人事権を渡すことは、政治介入を招き、危険である。

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