カテゴリー「障害児教育」の2件の記事

障害児教育は教育の原点

 特別支援教育のブログをいくつか読んでいたら、たいへん質の高いものが多かった。いずれも、自閉、多動などの子どもたちを相手にしている先生たちのものだった。
 子どもたちは、ちょっと状況が変わったり、刺激が強すぎればパニックを起こしてしまう。そういう子どもたちと、なんとか通じ合う道を探っているのである。

 こういう、道なき道を探るところにほんとうの知性があると思った。いかに立派な理想や理論であろうと、それが学者の権威や官庁の権力によって、復唱させたり服従させたりしようとするものだったら、それは教師の知性を退廃させる。

 障害児教育には教育の原点がある。
 子ども一人一人をよく見て、その子のために為し得る最善を為すこと。

 あたり前のことだが、障害児教育の場合、これの外に手段がない。教師側は、このあたり前を歩むようになる。私も私塾で多少の経験があるが、ほんとうに知性と体力の限りを使って対応するしかないのである。

 教育を、国家繁栄のためとか、個人の社会的地位獲得の手段とかと捉えて理論を構築すべきではない。そういう目的は、結果としてやってくるだけのものである。
 一人一人の子どもに、人間として発達を、現実的に支援することが教育の原点だと思う。
 むしろ、障害児教育や落ちこぼれの子どもたちの教育の中に原点がある。

 ここに、自閉や多動の子どもたちと接する人たちの生の声がある。
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リタリンより教育方法検討を

 リタリンという薬がある。ADHD(注意欠陥多動性障害)の子どもに処方される。リタリンはもとはウツ病の薬であるが、依存症があるため、取り扱える医師を制限する基本方針が出されたという。

 ADHDすなわち薬物治療の対象、と見ることに私は疑問を持っている。教育方法との連関をもっと調べるべきだと思う。リタリンは、特別な場合の手段にとどめておいたほうがいいと思う。かなり危ない薬である

 ADHDの子の症状が出るのは教室の中だけであって、友達と遊んでいるときや、家庭ではとくに問題なく過ごしている例を見たり聞いたりしている。脳内の異常が第一原因だとすると、場所を選ばずに症状が出るほうが自然である。

 リタリンが必要になるのは、小学校に行くようになってである。机にじっとしていられない子は勉強についていけないし、授業妨害になって迷惑だからである。でも、仮にサマーヒルタイプの自由教育だったら問題になるのだろうか。モンテッソーリタイプの教育だったらどうなのだろう。

 リタリンはたしかにADHDに効く。子どもが鎮静し、集中力が出て、授業についていけるようになる。しかし、リタリンは鎮静剤ではない。主成分のメチルフェニデートは中枢神経刺激剤、つまり覚醒剤の一種である。要するに、脳内物質に働きかけて、一時的に快と元気さをもたらす薬なのである。

 私は、ADHDというのは、まず何らかの理由で教室に適応できない子どもが、恐怖や不安に駆られてじっとしていられない状態だという仮説を持っている。抑鬱を取り除く薬が効くというのも、その証拠の一つである。

 机にじっとすわっているのを強要しない教育方法だってある。アメリカでも、ADHDにリタリンを処方するのが主流であるが、ホームスクールやオルタナティブ系の教育を選ぶことで対応した人たちもいる。
 教育方法まで含めた視野で、ADHDの実証的な研究が出てくることを願っている。

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