障害児教育は教育の原点
特別支援教育のブログをいくつか読んでいたら、たいへん質の高いものが多かった。いずれも、自閉、多動などの子どもたちを相手にしている先生たちのものだった。
子どもたちは、ちょっと状況が変わったり、刺激が強すぎればパニックを起こしてしまう。そういう子どもたちと、なんとか通じ合う道を探っているのである。
こういう、道なき道を探るところにほんとうの知性があると思った。いかに立派な理想や理論であろうと、それが学者の権威や官庁の権力によって、復唱させたり服従させたりしようとするものだったら、それは教師の知性を退廃させる。
障害児教育には教育の原点がある。
子ども一人一人をよく見て、その子のために為し得る最善を為すこと。
あたり前のことだが、障害児教育の場合、これの外に手段がない。教師側は、このあたり前を歩むようになる。私も私塾で多少の経験があるが、ほんとうに知性と体力の限りを使って対応するしかないのである。
教育を、国家繁栄のためとか、個人の社会的地位獲得の手段とかと捉えて理論を構築すべきではない。そういう目的は、結果としてやってくるだけのものである。
一人一人の子どもに、人間として発達を、現実的に支援することが教育の原点だと思う。
むしろ、障害児教育や落ちこぼれの子どもたちの教育の中に原点がある。
ここに、自閉や多動の子どもたちと接する人たちの生の声がある。
ブログ村の特別支援教育カテゴリー。
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