カテゴリー「いじめ」の7件の記事

いじめ防止対策推進法

「いじめ防止対策推進法」が6月21日に成立しました。

http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index_gian.htm

内容を一読しまして、かなりの効果があるだろう、しかし限界も大きい、と思いました。

かなりの効果があると思うのは、現在いじめがはびこるのは、

・ 学校関係者に「いじめはいけない」という共通認識が十分でなく、「いじめられる側にも問題がある」というような風潮が残っている。

・ いじめは「あってはならない不祥事」なので、発見すると学校の責任を問われることになる。うやむやになりがち。

・ 事故があったときの調査が不十分。
 調査のためには、生徒、家庭、教師などに十分な聞き取りをする必要があるが、それをやれるだけの専門知識、事務局と要員、第三者に依頼すれば謝礼などが、確保しにくい。

・ 防止対策を取るのに、予算、人員、時間を割くことが簡単ではない。たとえば、生徒のためににいじめのワークショップを開こうとしても、ただでさえ忙しいところに授業を潰しにくい、外部講師を招くとして予算がない、などの問題が生じる。

こういうことが、いじめがあっても「いけません」と訓示することしかできなような学校にしてきた大きな原因だと思います。
学校があまりにお粗末な対応しかしていない現実に関しては、この法律によって解決すると思われます。

限界があると思うのは

・ 学校設置者や管理者だけで解決できると思い込んでいる。
子どもや保護者がもっと発言できるようにすることが必要。そうでないと、現状認識も、改善策も深まらない。
 学校と教育委員会の隠蔽体質がそうかんたんに払拭できるとも思えない。第三者機関が必要であるが、それには触れていない。(民主党案には、そのような発想があった)

・ ただし、地方によっては、あるいは学校によっては、保護者、地域、生徒、第三者の専門家などを含めた、かなりよいものが出来てくる可能性がある。この法律は自治体、学校設置者、学校などに対策をとることを義務づけているだけで、対策の内容は丸投げしている。 

・ いじめの根本原因は、理不尽なことに従順になるように訓練する体質にある。(典型は軍隊) 理不尽なことを他人に強要して楽しむゲームがいじめ。
 いじめは、管理社会の副産物。
 規則、命令、伝達ではなく、話し合いと理解に基盤を置く学校運営が必要。とくに中学の「校則体制」を俎上に載せる必要がある。「校則体制」がそのままでは、自分で火をつけて、自分で消すのに追われているようなもの。
 教育方法そのものの検討も必要。

・ 人権保障の視点が薄い。
 学校を休む権利、学校から逃げ出す権利、他の教育機関を作る権利などがないと、学校は、根本から変わろうとしない。モグラ叩きに終始する。

でも、この法律はかなりの効果を上げると思います。
それは、いままでの学校の対策があまりにお粗末だから。

しかし、誰かをいじめたくなるような風土まで改善の手が届いているわけではありません。いじめというのは巧妙に行われるものです。いじめの方法は、それぞれの現実に即して、「こうすればあいつ困るぞ」ということが目ざとく開発されるものです。

今後、深刻ないじめは、暴力系から、シカト系と嫌がらせ系へと移行していくと思います。

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できるあんたとできないあんた

 グループに対して、何かを教えたり、ワークをやったりするとき、とても単純な法則があります。

 いっしょに一つのものを完成させる作業や、役割分担で成り立つ作業をしていると、お互いの仲がよくなってきます。自己表現がたくさんできると、もっとよくなります。

 「あんたはできるけど、あんたはできない」と差別や順位をつけていると、お互いの仲が悪くなってきます。人間は、比較されるたびに孤独感を味わうものです。優越感を味わう側も、劣等感を味わう側も、どちらも実は孤独なのです。

 学校の勉学では、「あんたはできる、あんたはできない」というメッセージがたくさん出ています。学校は、社会に出て個人のポイント稼ぎをして生きることの練習になっています。
 もちろん、生徒も先生も、その上に仲のよい関係を築こうと努力しているのですが、差別や順位づけをそのままにしているので、どうしても効果が薄いです。
 いじめのはびこる土壌になります。

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管理社会といじめ

 大津市のいじめ自殺事件が大きく報道されています。
 新聞やネット上に、被害者に呼びかける声、加害者に呼びかける声、自分の体験を赤裸々に語る声、それぞれ真摯なものがたくさんあります。でも私には、いじめは、個人の性格や心の問題だけではないと思えます。
 ここでは、違う視点からいじめについて思うことを書きます。

 いじめは、管理社会で多発します。
 管理社会というのは、人を見ていなくて、成果だけ見ている社会です。
 管理社会は、多くのことにやり方と手順が決まっています。やり方と手順を守らない人間がいたら、お互いにジロリと睨み合う社会です。
 管理社会では、すべてのことに「それはこういうことだ」という答えが用意されています。誰もが、それに沿ってものを言っています、それに合わせていないと孤立します。

 管理社会では、だれもがなかなか認められません。満足した人間が働かなくなることを怖れているのです。いつも目標を持ち、達成に向かって努力することが推奨されます。でも、認められるのは、達成された瞬間だけです。どの人も「自分が認められている」という実感を持っていません。

 管理社会というのは、どの人も、認められるためにあがかなければならない社会です。うぬぼれ屋や、利己主義者が増えます。他人をバカにすることで自尊心を保つ人が多くなります。多くの人が、自分は欠点や問題の多い人間だと思っています。そして、他の人の欠点や問題がたまらないものに感じられます。

 管理社会では、誰もが仮面をつけて生きています。自分で感じたことは心の片隅においやって、しなければならないことをし、言わなければならないことします。誰もが、空虚でやるせないものを持っていて、なにかで紛らして生きています。

 管理社会では、仲間と同調しないと生きて行けません。仲間による承認以外に基準はないのです。

 いじめは中学で多発します。中学が典型的な管理社会です。
 成績、行動、すべて目に見える成果があるかどうかで測っているのです。校舎、教室は標語だらけ、 「中学生らしく」と要求される、服装、態度、言動。
 つまらない授業。私語と居眠りだらけ。
 頭ごなしの教師たち。
 うまくいかないほどに、教師たちは、目標と態度を管理しようとするのです。

 それでも、多くの中学生はけっこう明るく生きています。比較の対象がないから、それを当たり前として生きているのです。 友人とのバカさわぎや、ふざけあいが、最高の息抜き。
 でも、しわ寄せが集中的に現れるところがあります。

 日頃がみじめだと、誰かをからかったり、困らせたりするのは、楽しいことです。
 「あいつはたまらない」という奴に、制裁を加える場合もあります。
 誰かを自分の言うなりにする喜び。

 先生たちは、生徒たちをなんとか「~ねばならない」の世界に引き戻そうとします。でも、教師たちも管理社会に生きているのです。教師同士もいじめがあるし、「あいつよりマシだ」とか「あいつさえいなければ」とか内心でため息をついています。

 管理社会というのは、誰もが自分の心を生きることができなくなってしまった社会です。
 何か違う、と誰もが思うけれど、誰も変えようがない。ただ、それが当たり前だから、そこで生きている。

 いじめを根本的になくしたいなら、管理社会を見直さないといけません。
 貧乏なために盗みの絶えない国があったとします。犯罪者の取り締りは必要だし、盗みに対する備えも必要です。でも、国全体を豊かにすることを考えなかったら、いつまでたっても盗みはなくなりません。それと同じです。


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学校に話せるはずがないいじめ

 ある方からいじめの相談を受けたことがある。
 13歳の子で、非行グループから抜けるに抜けられない状態になっている。その子は脅されて、授業妨害のようなことの実行犯をしている。そのため、その子は、クラスで吊し上げ寸前という状態になっている。

 いっぽう、学校側は、その子が問題児の一人とみている。共犯者を割り出そうとしている管理職がいて、その子に口を割らせようとしている。その子は、話せば仲間を裏切り仕返しされることになるし、話さなければ管理職に追い詰められる。

 その子の様子があまりにおかしいので母親がその子に尋ねたところ、その子が状況を話したそうである。

 このような状況の場合、その子の立場はたいへん苦しい。うっかり表沙汰になると、問題児グループからひどい仕返しを食うことが怖い。同級生からはうとまれている。先生たちとは敵対してにらまれている。

 私からは、大人が中途半端なことをするとかえってその子が総攻撃を食うから、専門家や第三者を交えて支援態勢をしっかり作ることを勧めた。その子によく話して、大人が独断専行しないことも大事だと。

 管理職がかなり軽はずみなことをしているから、下手に学校の責任を追及すると、学校側はうやむやにしたり居直ったりする可能性がある。教育委員会に行っても、教育委員会は必ず学校側に事実を問い合わせるから、そこで親の言い分と学校の言い分が食い違う事実不明の世界に持ち込まれかねない。強く訴えるほどに”モンスターペアレント”あつかいされる。
 だから賢く持ち込まなければならないと。

 遠くの方だし、人づての相談なので、その後のことはわからない。
 とにかく、どんな事件でも、当事者でないとわからないいろいろな事情がからんでいるものなので、遠くから一般論を言うだけでは役に立てないことも多いものなのだが。

 でも、とにかく、こんなようなケースは、いじめの統計などには現れない。しかし、深刻な結果が生じるのは、こんなようなケースなのである。(プライバシー保護のため、情報の一部を改変してあります)

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深刻ないじめは教師から発見困難

 06年度に全国の学校で確認されたいじめが、約12万5千件であったと、文科省が発表した。前年に比べると約6倍に増えた。国会でいじめ隠蔽が問題になったためためである。

 しかし、これでもまだ氷山の一角であろう。全国の小中高校には約1500万人の児童・生徒がいる。クラス数にすると、全国に40~50万クラスくらいということになる。その3割くらいのクラスで、年に1回のいじめがあったという計算になる。
 自分の実感からは、そんなに少ないはずはないだろう、と思う。
 
 それよりも重大なことは、もっとも深刻な、自殺を出しかねないようないじめは、教師・学校からは発見がきわめて難しいことである。いくら、統計上のいじめの件数が増えても、最も深刻なものはその中に含まれていないだろう。悪質ないじめは、大人に見つからないように、実に巧妙に行われる。
 先生の目があるところでは、ただのふざけであるように見せるなど、雑作もないことだ。

 巧妙ないじめでは、「もし親や先生に言ったら、どうなるか知っているな」という脅しがかかっている。いじめられる側が、洗脳されたに近い状態になっている。

 もともと自己主張の弱いタイプの子どもが、悪質ないじめに遭いやすい。その本人が思いきって話しても、先生は、すでに”いじめだ”という訴えに振り回されていて、なかなか深刻さが通じない。親も、「強くなって立ち向かえ」と言う人たちが多い。
 悪質ないじめに対処するには、「訴えても仕返しされない、徹底的に保護してくれる」機関を学校内と学校外の両方に作り、災害時と同じように生徒たちに「万が一のときは、ここに逃げ込め。それでもだめならここに逃げ込め」と教えるべきである。そのような避難訓練を義務づけるべきである。

 なお、いじめの巧妙な手口のいろいろを客観的に示してくれている本に「教室の悪魔」(山脇由貴子著 ポプラ社)がある。具体的な提言もしている。
 ぜひ、一読をおすすめする。

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管理社会といじめ

 ある知人宅を訪ねていた。
 一家と菓子を食べていた。

 母親が、ケーキの食べ方で急に娘を叱った。そうとうにムキになってきつい語調だった。そう特別にお行儀が悪かったわけでもないので、ちょっと娘がかわいそうだと思ったが、「まあまあ」と割ってはいるタイミングは逃した。

 場の雰囲気が一変し、冷たく、硬いものになった。一同、黙り込んだ。

 娘が急に弟のほうに向かった。「あんた、その手、汚いまんま食べてるんでしょ」と責めた。
 弟は、元気がなくなって、じきに席を離れていった。

 いじめって、こんなものでしょ。
 無慈悲なものの支配。やるせなさ。
 服従させることの伝播。
 
 いじめは、管理社会に特有の現象。

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いじめを子どもが訴えられないわけ

 「教室の悪魔」(山脇由貴子著 ポプラ社)を読んだ。
 いじめの実態を的確に伝えてくれている。教師をはじめとして、いじめの実情と対策を考える人たちには必読です。

 とくに、いじめの被害者は、「いじめられている」と訴えることができないことを、いくつもの実例で伝えているのが、たいへん有り難い。

 ・ 被害者が、親が学校に怒鳴りこんだらたいへんだと思って、親にも黙っている。

 ・ 加害者が、「バレたら、あんたのせいだからね」「そのときは、もっとひどい目に遭うからね」と被害者に吹き込む。

 ・ 暴力を時々やめて仲良くすると、加害者に手加減してもらいたい一心で、被害者が従順になる。

 などなど。

 筆者は、東京都児童相談センターの心理司。
 「いじめられる側にも原因がある」とは絶対に考えない。
 いじめに立ち向かわせない、耐えさせない。
などが大切であることが、どんな人にも理解できる。

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