ある高校受験
高校受験の、おもしろい経験談がありました。
阿部俊郎という人のブログ「いまここ」
母のこと http://abetoshiro.ti-da.net/e3254559.html
彼は、中学2年生のときに、母親の日記を読んでしまった。母親は結婚して満州に渡ったのだが、終戦時に夫に先立たれ、3歳と生まれたばかりの子どもを抱えたまま避難民になった。子どもたちは衰弱して死に、葬ることすらできなかった。その後再婚して彼が生まれた。彼は、知らない兄姉がいたことを知り、自分は母親を幸せにするために生まれてきたのだと直感した。
あるとき、その母が、遊んでばかりいる彼を見かねて、涙ながらに訴えた。「お願いだから勉強してほしい。」
母のためならばと、彼は猛勉強をし、最難関校に合格した。
いい話だと思います。
人間、若いうちのどこかできっちりした勉強をするのは大事なことだと思います。
ところが、こういう話を読むと、「そうか、誰だってその気になって勉強すれば、できるようになるんだ」とか、「うちの子に、この阿部さんの話を聞かせてみよう」というふうに受け取られることも多いだろうと思います。
それはよくない。くれぐれも、真似をなさって我が子と阿部俊郎さんを比較なさらぬように、とついつい思うんです。
中学の後半くらいから、急に勉強をして成績が急上昇する子は、たしかにいます。男の子に多いです。
ところが、それには条件があります。
その条件というのは、心から信頼できる人が誰でもいいからいることと、それまでよく遊び込んでいることなのです。信頼があると、知識や技能を受け止める中心があります。よく遊び込んでいるといろんな感覚も、自発性も十分に育っています。そこまで基盤ができた上に、最後に言葉や数式が上載せされれば、あっという間に成績が伸びるのです。
でも、小学校の高学年くらいからムチが入ってしまっている子では、これが効きません。それどころか、中学の後半になると、頑張っても頑張っても、ずるずると成績が落ちていくことが多いのです。
がむしゃらに勉強すると、一時的には成績が伸びます。でも、こういうがむしゃら勉強は、長くやると、人間としての狭さが出てきます。生きること全体と切り離されてしまうからでしょうね。
阿部少年は、高校に入ってから勉強に興味が持てず、学校もつまらなくなりました。それで、自分から作曲の道に入ります。
この人は、ほんとにマトモだったと思います。がむしゃら勉強の限界に、自然に気付いています。
数学ができることも、難しい本が読めることも、それ自体は良いことだと思いますが、それ自体が良いことならその良さ自体を伝えていくのが、教育というものです。
賞罰や競争で動機づけることは、人間を動物に貶めています。
ちなみにこの阿部俊郎という人、悟りを開いています。ホンモノです。
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