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聞くアート

 学びの本質的な部分に「聞くアート」があります。
 いまから思うと、子どものころの私は、すごいアートを身につけていたのだと思います。でも、そのときは気がつきませんでした。
 「聞くアート」を身につけていれば、一を聞いて、三も四も知ることができるのです。しゃべっている相手の人格、感情、思想的バックグラウンドまでみんな入ってきます。

 そのとき、自分の意識を、まったく相手の話しに明け渡してしまっています。相手の人が私の意識の中で生きているのです。私は、何も考えません。
 でも、相手の話が終わったら、私はたちまち「自分の意見はこうだ」と言うことができるのです。私は私、相手は相手、あたりまえです。

 いまは、たいしたことないです。
 私は、会合などで人の話をよく聞いていません。はっと気がつくと、自分の考え事をしてしまっているのがしょっちゅうです。その間に、他の人がしゃべっていたことは、聞いていないのです。

 高校生くらいまでは、そうじゃなかったです。誰の言うことでも、全身全霊で聞いていました。そうしたら、お勉強は全然苦労がなくて、授業を聞いていればいい成績を取っていられました。教師のしゃべることなんか、最初の少しを聞けば、だいたい何をしゃべるか予想がつきますし、実際にしゃべったときは「ああ、やっぱり予想通りだ」と復習をしているようなものです。
 友達との会話も、臨機応変で、ユーモアと機転が利いていました。

 なつかしいなあ、あの頃。
 まだ、心が不安と恐怖に覆われていなかったとき。

 大学生になってから、変わってしまいました。時代が時代でして、大学紛争の真っ最中。ほんとうに石や火炎瓶が飛び交っているのです。そこで、学生運動に巻き込まれたり、失恋したりして、自分が置かれた立場もなにがなにやらわからない。人間関係が安心できない。授業中にさっぱり聞いていない。当然、授業はさっぱりわからない。

 会社勤めしたときは、もっと自分の殻を作っていました。「会社に巻き込まれずに、自分でいる」という生き方を貫こうとしたのだけれど、自分はさほど強い人間でもなく、ストレスばかり大きい。学生時代は、友人たちの話は聞けていたけれど、会社員のときは、それすらも困難。主義主張の合う人間と、主義主張の話でだけ会話できる。

 そんなとき、人の話をきいていないですねえ。とうぜん、仕事のミスは多い。孤独感はつのる。ほんとうは自分はすごいんだと信じているけど、嫌われないようにそのことを隠している。いっそう孤独がつのる。

 その体験があったもので、人の話を聞けない子どもたち、お勉強がわからない子どもたち、落ちこぼれる子どもたちの立場は、こういうことなんだろうと見当がつくようになりました。できない子どもほどに親切を尽くす。そうすると、いい結果が出るんです。

 「聞くアート」が身につけられないのは、不安と恐怖のため。
 われわれの文化全体が、不安と恐怖から逃げ回るためにできているようなものだし。

 もちろん、物事はそんなに単純ではなくて、いろんな要因があります。でも、不安と恐怖があるために「おきまりの考え事回路」ができて、それが学びの邪魔になっているというのが、よくあるパターンです。大人たちの理解力がないのは、たいていその「おきまりの考え事回路」のせいじゃないですか。それは「自我」と呼ばれたりしますけれど。

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