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子ども時代の重要性

 子どものときの体験は無意識の領域に沈みこんで、裏から影響していると思われています。私には、そうだとは思えません。

 子ども時代は、いま私の中に生きていて、いま私を支えているのです。

 子ども時代の私がいま私の中で生きていなかったら、私は鬱病みたいになってしまうでしょう。私は、すべてどういうことであるかわかっています。なんでも説明できますし、何をしたらいいかもわかります。でも、私は「わかっているけど、どうしようもないんだ」とつぶやいたまま、部屋の中でごろごろしているでしょう。何の意欲も好奇心もなく、「こうすれば意欲が湧くだろうか」と、他人の生き方を真似したり、生き方の本に書いてあることを試し、得るところなくまた部屋の中でごろごろするでしょう。

 子ども時代が無意識になってしまうのは、言語化された部分だけを自分だと思っているからです。
 しかし、何を自分と感じるかは、すごく柔軟で伸縮性のあるものです。
 日々の生命感覚、肉体からのさまざまな訴え、物音や静けさ、そういうものに意識が届いていれば、それがまさに子ども時代に培われ、今も自分の中で生きているものであり、生きていることのもっとも重要な部分であることを発見できます。

 不注意な教育によって、われわれは、分析し結論を出し、自分を言葉で指揮して生きるようになっています。教育だけではありません、われわれが接する人たち、本やTVで出会う人たちがみなそうなのです。
 そのとき、自分の中の子どもは、意識の光が届かず、忘れられ、しおれています。ときたま、暴れます。

 子ども時代を忘れた文化。
 それが、個人の不幸の源泉であり、搾取や戦争の源泉でもあると思います。

 子ども時代は、重要なものです。
 私たちの中を探求することから、自分の中の子ども時代を見つけ、現実の子どもたちとよい関係を持つこともできます。逆に、現実の子どもと通じ合うことから、私たちの中の子ども時代を見つけていくこともできます。

 子ども時代の重要性を見つけたとき、われわれは、言葉で自分や他人を指揮しようとする戦いから解放され、自分の目と自分の手で創造的な社会を作っていくでしょう。

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