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教育から学習へ

 人は一生にわたって学び続けるものです。学ぶことなしには、生きることは単なる機械的な繰り返しです。

 学びの一部として、他者から行われる「教育」があります。しかし、いくら「教育」をしても、本人が学んでいないなら、まったく意味がありません。私たちにとって、「教育」がいかに味気なく、つまらないものであったことでしょうか。

 現実に、学校での生活になじめず、不登校になっている子どもが小中学校で約13万人います。300人の学校の400校ぶんもの生徒が、学校が怖くて行けなくなっているのです。また、長い年月にわたって学校に出席していても、ほとんど何も学んでいないという子どもがどれほどいるか、見当もつかないほどです。
 それを、「ちゃんと教育はしたのに、本人や家庭の問題だ」で済ましていいものでしょうか。

 これは、
「教育とはかくかくしかじかの科目を何時間教えることである。それをいかに習得したかが教育の成果である」
として、「学び」の問題を「教育」に置き換えてしまっていることに、根本的な問題があるのではないのでしょうか。「教育」が無意味であるとはまったく思っていませんが、「教育」は、「学び」の一部にすぎないのです。

 学校教育にもっともっと柔軟性が必要です。また、たくさんのセーフティ・ネットが必要です。しかし、現在の学校は、法令、前例、予算、人員などに制約されてなかなか的確な行動をとれません。

 教育制度そのものを、学習制度として構成しなおす必要があります。学校を中心に組み立てるのではなく、もっと人を中心に組み立てる必要があるのです。落ちこぼれても落ちこぼれてもセーフティ・ネットが用意されている。それぞれの個性に合わせて、柔軟に学習機会が生まれてくる、そういう仕組みです。

 個人の『学習権』を確立すれば、行政が現実に柔軟に対応でき、予算と人員の確保をできるようになる。

 正規学校以外の教育も義務教育と認める。

 それぞれの学びを「何歳までに」と区切らない。

 さまざまな学校の設置を容易にする。

 大学入学を資格制度にし、いったん資格を獲得すれば一生にわたり大学進学を可能にする。

 義務教育終了後も、無料で義務教育に相当する教育を受けられるようにする。

 ‥‥‥

 さまざまな方策があります。
 それは、いますぐにでも着手し、実現することが可能なものです。

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