カテゴリー「教育と制度」の2件の記事

デューイの教育思想と日本

 ジョン・デューイというと、哲学者として有名であるが、この人が教育思想家でもあったことはあまり知られていない。

 デューイは、1890年代、シカゴ大学の哲学科主任教授であったときに、実験学校を作り、子どもの主体性を尊重する教育方法を実践している。1890年代と言えば、欧米においてもようやく義務教育が普及しつつある時代でもあるし、訓練的な教育に疑問が出されてくる時期でもある。

 デューイの教育思想は、その後の世界の教育に大きな影響を与えている。
 そして、1945年、日本がこれから大きな教育改革を行おうというとき、まず、米国から教育者使節団を呼ぼうということになった。団長として、まず白羽の矢が立ったのは、デューイであった。デューイは、アメリカ側からも日本側からも、「なんといってもこの人」だったのである。ところがこのときデューイはすでに85歳の高齢で、日本に来れるような状態ではなかった。

 1946年春にやってきた米国教育使節団は、なかなかよろしい事を報告書にしている。しかし、どうも抽象的である。新機軸の実験学校を容易に作れるようにしておけ、ということは言っていない。

 デューイが日本教育改革に直接に関係してたら、教育の自由は、大事なテーマの一つに入ってきたのではないかと思う。デューイは、押しつけの教育を嫌った人で、学びの主体は子どもであるという、教育方法上の大転換をやりたかった人である。
 別にデューイでなくてもよい、アメリカ人でも日本人でもよい、そういう主張の人たちがもっといてよかったのにと思う。

 日本の戦後教育は、教育理念を変えただけで、教育の配給制度は変えなかったのである。

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朝日社説がまともだった

 またまた、1ヵ月近く書かないブランクを作りました。すみません。
 多少は忙しかったのですが、とくに体調を崩したわけでもなく、とにかくゆったりと生きたかっただけのことでした。いつも言葉をひねくり出しているのが、どうも狭苦しい感じがしまして。
 おかげさまで、まだ風邪をひいていないし、夕日がやけにきれいに見えるし、街角で出会った人がその人の生を担っていることに感慨が湧きます。

 3年前に心臓の持病が見つかって、それが重大とも言えないけれど、軽いとも言えない、他人と同じペースではとてものことに生きられないとわかったのが、ほとんど恩寵のようなものでした。あれもしたい、これもしたい、というのをみんな捨てるしかしょうがなかった。自分の学校を作ろうかとか、いまからでも結婚して子どもを育てようかとか、体力の要ることばかり考えてたものですから。

 それと、立派な人間になりたかったんですね。地位や財産の獲得競争からはとっくに降りていたんですが、立派な人間になって世の中をよくしたいし、尊敬されたい。
 でもね、これって詐欺の一種です。私はうまくやっている詐欺師たちの真似をしたかった。でも、下手だった。ありがたいことに下手だった。

 教育とは、何がほんとうのことであるか学習者といっしょに発見することです。その発見が、人格を作っていきます。いきなり人格を作ろうとするのは、イカサマです。
 ああなりたいこうなりたいとか、思想や信条でいっぱいになった人間は、モノを見なくなってしまっています。その愚かさを自分自身に発見できるような人間が育ては、それはとてつもない教育です。

 教育と学習のもっとも純粋な部分は、瞬時瞬時の発見そのものであって、語りようがありません。

 なのですが、制度については、これはパイプのつまりを取れば水が流れるようになる、という性質のものでして、論じる価値もあるし、改革する価値もあります。

 10月19日の朝日新聞社説が、「『学校自治』に変えてゆこう」というタイトルで、教育の55年体制を終わらせ、学校自治へと向かうことを言っていました。やっとまともな論が出てきたと感慨が深いです。
 教師と保護者を信用しないで運営してきた体制じゃ、無理ですから。

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