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不登校は制度公害(3)

 不登校は、制度が不備であるために、自分に合った教育に出会えない子どもたちがたくさん生じ、学校に行かないことを非難され、追い詰められていったという現象です。不登校は『制度公害』です。
 以下は、拙著「変えよう!日本の学校システム」からの引用の続きです。


 教育方法が狭い

小学校低学年の例である。

ある母親が、人の紹介で、私のところに教育相談に来た。その人は、しばらく子どものことを説明すると、涙を流し始めた。息子は、小学校一年生の秋までで学校に行かなくなったのだ。息子は、顔にチックが出ていた。

母親が、なんとか学校に行かせようとした時期もある。そのため子どもは親の言うことに素直でなくなっていた。先生からは、「親離れができていない」と言われた。相談に行った公的機関のカウンセラーは、幼児期の育て方に問題を見つけた。

「私の育て方が悪かったんです」

 と母親は涙をぬぐう。カウンセラーに言われたことは、重く受け止めている。しかし、実際はどうしようもないのである。過去の原因を見つけたところで、タイムマシンで過去に飛んで解決できるわけではないのだから。 

このままだと将来はどうなることか、日々自分が子どもをダメにしているのではないかと、不安な毎日が続く。そのため息子にあたってしまうこともある。それで、また自責の念にかられる。

いっしょにやってきたその子は、隣の部屋で遊んでいた。工作が好きで、工作用紙をたちまち切ったり貼ったりしてなにかを組み立てていた。一人でよく遊ぶし、そうとうにクリエイティブだと母親が言った。よく行き来する友達もいるとのことだった。

 この子に、そう大きな問題があるわけでもない。障害と分類されるようなものを持っているわけではない。母親からの話を聞くと、かなり感受性の強い子だし、自分のやり方を通そうとする子でもあった。そのため、なにかのきっかけで担任の先生とこじれてしまったようであった。たぶん、学校にとっては、その子はなんらかの問題児であったろう。先生には先生のご苦労があったろう。しかし、それだけのことである。
 

学校と教育方法に合わなかっただけで、この親子がここまで追い詰められることはないだろう。親は、転校も考えたが、次の学校でも同じことになる可能性が大きいと考えた。

一方通行的な集団授業に対する反省は、世界中で起こっており、各種のオルタナティブ教育(画一的な教育の代替として第一次大戦後頃から起こってきた新しい教育法の総称。フリースクール、シュタイナー教育、モンテッソーリ教育などが有名)が存在している。それが、日本で解禁されていれば、ずいぶんと選択肢がひろがっていたろう。そこまで本格的な教育でなくても、とりあえず、親切な大人が接して信頼関係を作り、好きな工作でもやらせ、友達ができやすい環境を作るくらいだったら、私でもできる。 

ホームスクールが制度的に認められていれば、世間の目をしのぶような立場を余儀なくされなくても済む。

現在の学校だと、まず集団授業があり、それについていけるかいけないかの二者択一である。そして、現状の教育に合わないと、生徒または親の心理学上の問題にすぐに飛んでしまう。心理学上の問題がすぐに浮上するのは、教育方法のオプションが狭いということでもある。 

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