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不登校は制度公害(4)

 大量の不登校という現象は、日本に特有のものです。決して世界的なものではありません。不登校は、制度の不備が多数の子どもを追い詰めている『制度公害』です。
 以下は、拙著「変えよう!日本の学校システム」 一 不登校は制度公害 からの引用です。

とことん追い詰められるメカニズム 

義務教育の小中学校に子どもが合わないと、その家庭はたいへんな思いをする。行けない、しかし行かせなくてはならないという、抜き差しならない状況になる。

「泣く子と地頭には勝てない」ということわざがあるが、不登校の子どもを持った親には、泣く子と地頭(就学義務)の両ほうがいる。どうにもならないのである。これは、学校の先生にしても、同じような状況である。

不登校は、怠けやわがままと捉えられやすい。子どもは、なぜ学校がいやなのかなかなか表現できないからである。しかし、子どもの様子を見ればわかる。明らかに、強い恐怖や不安に捉えられているのである。 

どのような団体であっても、そこに合わないケースは生じるものである。人間どうしがいっしょにいる以上、雰囲気にどうしてもなじめないということは生じるし、いじめや誤解や反目がなくなることはあり得ない。それは、人の世の常であろう。ましてや、子どものことである。与えられた教育方法にどうしても合わないことも起こる。 

そういうケースのために、その団体を離脱する自由と、ほかの道が柔軟に沸き起こるようにしておくのが、知恵というものだ。そうしないと、心身の重大な病気や、自殺に追い込まれるケースが頻発してくる。どんな会社でも役所でも、最後の最後は辞職するという手段がある。夫婦でも離婚という手段があるではないか。 

ところが、学校には離脱する自由がない。病気以外の理由で学校に行かないと、すなわち就学義務違反なのである。それで、不登校の子どもと親の立場がなくなってしまう。現在の日本の義務教育制度には、一本道しかない。その一本道を、子どもをほめたり脅したりで頑張らせて渡らせるだけなのだ。その綱はそう細いわけでもないが、落ちたらそれまでである。 

不登校が増えたので、学校に行かないことも現実的には容認されている。しかしそれは、「どうしようもない場合は、大目に見ます」と言っているだけである。そこで、学校に行かないことの不安感、罪悪感がいつもつきまとう。抑うつ状態に拍車をかける。 

不登校の子どもの立場は、離婚が罪悪であった時代の離婚女性の立場によく似ている。離婚した「出戻り」女性が、人間として欠陥があるように見なされ、実家で人目をしのんで生きるしかなかった時代がある。それと同じような状況なのである。 

日本の義務教育は、コースをはずれたときの安全装置を作ろうとしなかった。それどころか、「子どもたちが『今落ちこぼれてもかまわない』と考えたら、子どもたちが努力しなくなる」と発想したのである。これには、実際に落ちこぼれてしまう子はどうするのだ、という思慮が欠けていた。

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