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不登校は『制度公害』(6)

 不登校は『制度公害』です。制度の不備が原因で、たくさんの親と子どもたちが苦しんでいます。学校復帰策だけでは解決できません。教育を多様化して、フリースクールやホームエデュケーションを合法化すべきです。
 以下は、拙著「変えよう!日本の教育システム」からの引用です。


ついてこないとたいへんだぞという脅し

 小学校と中学校は義務教育なので、不登校をすると「学校に行っていないことを責められる恐怖」がつきまとう。子どもたちが外に出なくなる大きな理由は、近所のおばさんにばったり出会って「ああら、○○ちゃん、学校はどうしたの」と言われることである。答えれば、もっと詮索されお説教される。答えなければ、「変な子、社会性のない子」と言われる。「お巡りさんに見つかったら、捕まる」とほんとうに思っている子もいる。

 さらに、不登校の子とその親が追い詰められる理由がある。義務教育にまつわるたくさんの固定観念のためである。

 義務教育を普及させる時代に、教育関係者は「学校に来ないと将来はたいへんなことになるぞ」と、脅しに訴えてでも、子どもを学校に来させた。その脅しというのは、次のような教育哲学である。こんなようなことを、先生たちが話のはしばしで言うのである。同じようなことをけっこう言う親たちもいる。

 学校に来ないことは、人間としてあるまじきことである。病気と忌引き以外には、決して許されない。学校に来ないことは、たいへんなわがままである。そんなわがままを許したらその子がまともな人間ではなくなり、将来が破滅する。学校に来ないなら、その子はまったくの無知無学のままであり、人とつき合う能力も育たず、常識も育たないであろう。社会の落伍者となるであろう。
 学校にもいささかの問題はあるかもしれないが、そのくらいは我慢する力をつけなければいけない。我慢して努力することがなによりも大切なことなのだ。そうでないと、その子は社会で生きていけなくなる。

 すべての先生が言うわけでもないし、言う先生でもこれだけいっぺんにまとめて言うわけではない。しかし、子どもの中にはこのような総計ができる。すくなくとも私は、学校でこのような教育哲学を刷り込まれた。どんなに学校がいやなときでも、恐怖におびえて学校に行った。

 この教育哲学は、学校に子どもを来させ続ける効果がある。しかし、もしも子どもが現実に学校に行けなくなった場合には、たいへんな事態を引き起こしてしまう。子どもは自分が世の中で生きていけないのだと思い、自分を責め続けて、奈落に落ちていくのである。

親もまた、この教育哲学を刷り込まれて育った。それで、自分の子どもの不登校に直面したとき、大きな恐怖と不安に襲われる。

 この教育哲学にはデータの裏づけがない。就学義務の法律がまずあって、子どもをどうしても来させるために生まれた教育哲学であろう。ようするに、子どもが休まないように大人が気軽に牽制球を投げているのである。
 この教育哲学は、生徒側にも信じ込まれた。つまらなくてつらい学校であっても、この教育哲学を信じれば、学校が意味のあるものになる。

不登校やホームスクールで育つ子どもたちが増えているので、学校に行かなくても子どもは育つということは幾多の事例が証明している。学校には多くの長所があるが、学校に行かないことは、社会的生存そのものまで危うくするものではない。脅しに訴えて吹き込んだことは、恐怖や固定観念になる。義務教育に関して、「なんとしても行かせなければ子どもが破滅する」ということが広く信じられている。

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