不登校は「制度公害」(1)
不登校が小中学校で12万人も生じる現象は、個々の子どもと家庭の問題であると捉えている限り、解決しません。
不登校は、制度が不備であるために、自分に合った教育に出会えない子どもたちがたくさん生じ、学校に行かないことを非難され、追い詰められていったという現象です。不登校は『制度公害』です。
いま、文部科学省が「フリースクール等に関する検討会議」を開いています。超党派の国会議員が「フリースクール等議員連盟」を作っています。学校外の教育を認める方向で立法を含めた施策を検討しています。
不登校を、学校システムの問題として捉えるべきです。以下は、拙著「変えよう!日本の学校システム」からの引用です。
制度が違う国では発生しない
ある大学院生と話をしていた。その人は私に尋ねた。
「不登校の原因はなんだと思いますか?」
「制度問題なんですよ」
と私は答え、続けた。
「たとえばアメリカだったら、不登校問題は生じないです」
これはもちろん一面的な話であるが、ウソではない。
「え?」
と相手の若い女性は驚く。私は続ける。
「もちろん、アメリカには、学校恐怖もいじめも非行も学力不振もあります。学校をいやがる子どもはたくさんいますし、行かなくなる子どもたちもいます。それは、日本と同じなんです。でも、日本のような不登校問題は生じないんです」
相手の人は、ちょっと理解できないという顔をしている。
「アメリカだと、学校に行かなくても、ホームスクールという道があります。子どもを学校に行かせないで育ててもいいんです。すべての州で合法です。だからアメリカで、子どもが学校に行かなくなっても、日本で『うちの子が幼稚園に行かなくなったが、困った』と同じ次元の問題なんですよ。それで、日本みたいに親子が追い詰められないで済むんです。私立学校も、かなり多種多様なのがあります。それに、もし今学校についていけなかったとしても、コミュニティカレッジという、タダかタダ同然で、義務教育段階を再履修させてくれるところがありますから、将来を深刻に心配しなくてもいいんです」
「なるほど、学校に行かないこともありということなんですね」
「ええ、そうなんです。単純な話ですよ。もし、子どもと学校が合わなかったら、合った学校を探すか、家庭で育てるかになるのがあたり前でしょう」
「そうですね」
「多くの国で、そのあたり前が、あたり前として通っています。だから、子どもが公立学校に合わないなら親が育てるなり、教育方針の違う学校を探すなりします。また、タイプの違う学校が見つけやすいんです。学校を作るのが自由だから、いろんな学校ができてます」
「へえ、そうですか」
私は、欧米諸国の教育を研究していた。日本のように教育が規制されている国はない。
「スウェーデンなんか、生涯教育が発達していて、義務教育を満足に受けられなくても、後でいくらでもなんとかなるようにしています。ということはですよ、スウェーデンで子どもが学校をいやがっても、親も先生もあわてないで済みます」
ここらへんまで話すと、相手の人にも、不登校問題は制度問題なのだと私が言っている意味が通じてきたようだ。私は続ける。
「日本の場合、画一的な義務教育学校の中でなんとかするしかしようがない構造なんですね。子どもが小学校や中学校に行かなくなったらもうたいへんです。親はお先真っ暗になります。『ここでついていけなかったら』と親も先生も大あわてします」
「ええ、そういう圧迫感って、たしかにありますよ」
「極端な話、学校に行かせる義務がなければ、不登校問題は起こらないです。たとえば、デンマークなんか就学義務がないんです。不登校問題の起こりようがないですよ」
「それって、義務教育がないってことですか」
「いえ、親が子どもを教育する義務はあるんです。でも、それは、学校に行かせることとイコールではないんですね。学校に不満があれば、学校に行かせなくていいんです。家で育ててもいいし、親たちで学校を作ってもかまわない」
「なるほどね」
「ええ、日本は現在の学校を基本的に変えないまま、学校恐怖やいじめを根絶して、不登校をなくそうとしているんですね。そんなの不可能です」
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