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2013年6月

ソ連を怖がったため、ソ連と同じになってしまった体制(1)

 拙著「変えよう!日本の学校システム」(2006)を書いたとき、内容をコンパクトにするために結局使わなかった原稿がたくさんあります。読み直したらけっこうおもしろいので、多少手を入れてブログに出します。

 「ソ連」が崩壊してもう20年になります。若い人たちは、「ソ連」のことをあまり知らないかもしれません。でも、日本の教育システムが作られるにあたって、ソ連とアメリカの冷戦体制に日本が巻き込まれていたことを抜きにしては、説明がつかないのです。

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 日本の教育システムを見ていると、「ソ連社会とよく似ている」と思う。どこが似ているかというと、

 官僚運営で杓子定規である。

 いつもうまく行っていることになっている。

 本音と建て前が大きく分離している。

 いつまでたっても同じことを繰り返す。

 サービスが悪い。

と、日本の教育システムは、社会主義国並みなのである。

 どちらも、官僚組織による上意下達体制なのである。方針とノルマを中央が決定して、下部に降ろす体制である。こういう体制は、「決まりだから」と「長いものに巻かれろ」が蔓延し、現場の実状から発想しなくなる。たいていのことは「すべてうまくいってる」ことにしてしまう。

 ソ連経済と日本の教育にもう一つよく似ていることがある。

「問題の早期発見ができず、問題が噴出したときは、大問題になっている」
ことである。不登校しかり、いじめ問題しかり。

 現場の自主性がないのだから、当然である。これは、上意下達体制の宿命である。人々の自主性ばかりは、どんな強力な体制でも、というより強力な体制ほど、どうしようもないものだ。

 ソ連だって、経済の行き詰まりがはっきりしてから、働くモラルを上げるキャンペーンをやった。まるでだめ。個人の意欲を刺激しようと報奨金を出したり、罰則を作ったりした。まるでだめ。自主運営の企業を作ったりした。まるでだめ。
 日本の教育が同じところにいると思う。

 文科省や教育委員会は、教育指針、運営方法を変えて解決できると信じているようだ。ソ連が計画経済を変えないで、経済活性化をやろうとあがいていたのと同じである。

 私は、決して、営利企業に参入させて競争させればいい、と考えているわけではない。また、性急な上からの改革は危ないと思っている。教育には教育の論理があり、経済と同一視してはいけないと思っている。

 しかし、根本的な病弊は教育を官僚ピラミッドで運営していることにあることは、強調しすぎることはないと思う。

 その仕組みを作ったのが、「地方教育行政の組織および運営に関する法律」(1956)という法律である。
 この法律には、自治という考え方がまったくない。そんな法律を作ったのは、当時の自民党、文部省が、学校に社会主義者が入り込むことを怖れて、学校自治を許そうとしなかったためだ。誰も表だっては言わないけれど、当時の人は、右の人も左の人も、このことはよくわかっていた。

 学校の本質は、国家統制でもなく、市場原理でもなく、自治にある。明日の社会を担う人たちを育てたいと思ったら、学校が自治的に運営されて、参加と責任の雛形にならなければならない。

 世界を、特に先進民主主義国とされる国々を見てご覧なさい。教育がこんなに統制されている国なんかありませんから。

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いじめ防止対策推進法

「いじめ防止対策推進法」が6月21日に成立しました。

http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index_gian.htm

内容を一読しまして、かなりの効果があるだろう、しかし限界も大きい、と思いました。

かなりの効果があると思うのは、現在いじめがはびこるのは、

・ 学校関係者に「いじめはいけない」という共通認識が十分でなく、「いじめられる側にも問題がある」というような風潮が残っている。

・ いじめは「あってはならない不祥事」なので、発見すると学校の責任を問われることになる。うやむやになりがち。

・ 事故があったときの調査が不十分。
 調査のためには、生徒、家庭、教師などに十分な聞き取りをする必要があるが、それをやれるだけの専門知識、事務局と要員、第三者に依頼すれば謝礼などが、確保しにくい。

・ 防止対策を取るのに、予算、人員、時間を割くことが簡単ではない。たとえば、生徒のためににいじめのワークショップを開こうとしても、ただでさえ忙しいところに授業を潰しにくい、外部講師を招くとして予算がない、などの問題が生じる。

こういうことが、いじめがあっても「いけません」と訓示することしかできなような学校にしてきた大きな原因だと思います。
学校があまりにお粗末な対応しかしていない現実に関しては、この法律によって解決すると思われます。

限界があると思うのは

・ 学校設置者や管理者だけで解決できると思い込んでいる。
子どもや保護者がもっと発言できるようにすることが必要。そうでないと、現状認識も、改善策も深まらない。
 学校と教育委員会の隠蔽体質がそうかんたんに払拭できるとも思えない。第三者機関が必要であるが、それには触れていない。(民主党案には、そのような発想があった)

・ ただし、地方によっては、あるいは学校によっては、保護者、地域、生徒、第三者の専門家などを含めた、かなりよいものが出来てくる可能性がある。この法律は自治体、学校設置者、学校などに対策をとることを義務づけているだけで、対策の内容は丸投げしている。 

・ いじめの根本原因は、理不尽なことに従順になるように訓練する体質にある。(典型は軍隊) 理不尽なことを他人に強要して楽しむゲームがいじめ。
 いじめは、管理社会の副産物。
 規則、命令、伝達ではなく、話し合いと理解に基盤を置く学校運営が必要。とくに中学の「校則体制」を俎上に載せる必要がある。「校則体制」がそのままでは、自分で火をつけて、自分で消すのに追われているようなもの。
 教育方法そのものの検討も必要。

・ 人権保障の視点が薄い。
 学校を休む権利、学校から逃げ出す権利、他の教育機関を作る権利などがないと、学校は、根本から変わろうとしない。モグラ叩きに終始する。

でも、この法律はかなりの効果を上げると思います。
それは、いままでの学校の対策があまりにお粗末だから。

しかし、誰かをいじめたくなるような風土まで改善の手が届いているわけではありません。いじめというのは巧妙に行われるものです。いじめの方法は、それぞれの現実に即して、「こうすればあいつ困るぞ」ということが目ざとく開発されるものです。

今後、深刻ないじめは、暴力系から、シカト系と嫌がらせ系へと移行していくと思います。

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