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子ども時代の感受性

3ヵ月近くも、ブログを更新していませんでした。

体調が悪かった? 心臓に持病があってちょっと無理をするとヘバるのですが、ブログを全然書けないほどでは...。

忙しかった? たしかに忙しかったのですが、ブログを全然書けないほどでは....。
ということでして、原因は別です。なにか新しい次元がちらちら見えると同時に、いったんサナギになっている必要があるような感じでした。

子供時代の感受性が戻ってきたんです。ああ、人間の発達について、そういうことだったのだ、ということの連続です。
子供時代の感受性が戻るということは、大人の使う言葉が浅薄に感じられてしまうことでもあります。ということはつまり、自分の紡ぐ言葉が浅薄に感じられるということでして、このブログも何回も書こうとしたのですが、書いても書いても、消してしまいました。

大人になって、言葉がいつも自分をコントロールする生き方をしてきました。私だけでなく、ほとんどの人がそのような生き方をしています。これが、人間の自己中心と暴力性の根源なんです。でも、いまの社会と教育がこれを推奨しています。そうではなくて、もっとクリエイティブな、別なエネルギーがあることを感じていました。
これは、たくさん実例を出したり、芸術的な表現を使ったり、もっと気の利いた文体を開発したりしないと、いったい何を言いたいのかすら、通じにくいですよね。
言葉で自分をコントロールして、なんでそれでいけないんだ、という反論もすぐに返ってきそうです。

だもんで、かんたんにサラッとまとめることができなくて、いろいろ書いては消しています。
きょうは、消さないでアップしますね。なにか、言いたいことをほんとうに表現できるはじまりになるといいのですけれど。

それにしても、当ブログへのアクセスが減らないことに驚いています。いろいろ書きためたので検索にひっかかっているのだと思いますが、読んでくださる方々に深く感謝です。

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