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2012年12月

善が人間の中に根付くこと

 教育を、子どもの肉体と精神の発達の観点から捉えること。
 何をできるようにさせるかの教育ではなく。

 シュタイナーの教育論を読み直しています。「現代の教育はどうあるべきか」(人智学出版社)から、一部を要約します。第2章から。

 これをすべき、あれはすべきではない等々を絶えず教条的に聞かされてきた人は、善に対して無味乾燥な感覚しか持てない。

 7歳~14歳のときに、敬愛する教師が、自然な感情から示してくれる真であるもの、美しいもの、正しいものに共感することが、真、善、美への衝動を形作る。
 善を形成するのは知性ではない。

 9、10歳のときに、大きな変化がある。子どもは外界とうまくやっていけなくなり、おずおずして落ち着かなくなる。子どもは、この問題を概念化することも、言葉で表現することもできない。あるのは感情ばかりである。
 この時期、子どもは、教師が敬愛に値する存在であることを何らかの形で示して欲しいと感じている。子どもが教師から愛されており、要求に対応してもらっている、と気付くことが重要。

 人間は、14、5歳になって初めて、教師が判断力によって影響を及ぼすことにできる地点に到達する。それ以前に理詰めで教育されると、子どもの全人的発達が阻害される。

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それぞれの人が学びに噛み合えること

 50代の半ばに体調を崩し、いったん塾・フリースクールの仕事のほとんどをたたみ、研究や評論の仕事を中心にしていました。
 ここのところ、それなりに体調がよくなってきました。休んでいる間に見えてきたことも多いです。
 今年の9月から、週に一回ですが、算数・数学の寺子屋を開きました。自主保育で子どもを育てたが、画一的・訓練的な学校に行かせなければならなかった母親たちの要望に応えたものです。

 小学校五年生から、高校1年までの異年齢で構成しています。当然、一斉授業は不可能です。基本は個別学習にしています。
 といっても、一人一人がそれぞれのプリントをやる公文タイプは採用していません。あれも一つのやり方であり、使いこなしようであるとは思いますが、プリントをやるだけだとどうも学力生産工場のような感じがします。

 そこで、生徒には学校でわからなかったところをチェックしてきてもらい、それを自習し、お互いに教え合い学び合うことを基本にしています。

 何ができたからエライ、ではない。それぞれの人が、自分の感覚で、自分に噛み合えるものに取り組んで、自分で理解することが重要なのです。
 学者が、未知の領域を研究することと、子どもが自分がまだ知らない領域に取り組むことは、同等の価値があります。子どもたちは、研究者なのです。

 割合、座標とグラフ、文字式...、すべて人類の最高の文化遺産ではありませんか。それらが学問の最前線だった時代もあるのです。
 教科書ですっと理解できればそれでよい。しかし、つまづいている場合に、そのつまづいていることで、非難したり、不利益を与えたりしてはいけません。つまづいているところで、どう援助できるかなのです。

 どうしても必要なのが、お互いの個性尊重、人間尊重です。現実の子どもたちは、大人からや生徒同士の心ないやっつけや、不満の吐き出しに晒されています。それで、お互いにウニみたいに棘を出したり、カキみたいに殻を作ったりしています。そのため、またお互いの信頼がなくなるという悪循環が起きています。とくに、中学がよろしくない。

 場作り、集団作りがたいへん重要です。
 子どもたちが安心できる場を作り出すのが、教育者の最大の仕事なのだと思います。

 毎回、まず「ゆる体操」というのをやって、身体と頭をほぐすのに時間をかけています。それから、輪になってゲームをします。ゲームは、だれもが対等な立場でやれるのがいいです。身体を動かすタイプがよい。最近は、輪になって、手でウェーブを作り出して遊ぶのをやっています。
 お互いに、この1週間の生活で印象に残ったことを話し、傾聴し合うということもやっています。
 お互いはニックネームで呼び、先輩、後輩序列は持ち込まないようにお願いしています。

 個別学習だけだと、足りないものもあります。冴えのある授業も少しはほしい。「ワンポイントレッスン」と言って、私の授業も少し入れている。教えたあと、「わかったことを二人の人に教えてください」と、相互コミュニケーションを促しています。

 子どもたちがほぐれてきました、お互いにむつみ合うことが多くなりました。「わかった!」という声がよくあがります。楽しいからと早い時間から来るし、終わってもぐずぐずと帰らなくなってきました。

 そうしたら、週に一回、数学自体は1時間くらいしかやっていないのに、こちらもびっくりするような結果が出てきます。学校の成績が上がったとか、数学がおもしろくなったとか言うのです。

 私のほうは、数学自体はツールだと思っています。それぞれの子どもが自分らしく居られるか、自分を表現することができているか、「理解できた」という実感を味わっているか、それが私の最大の関心事であって、何ができるようになったかは、ただのおまけだと思っています。

 学校は、「何ができるか」にこだわりすぎていると思います。学校システムそのものが、成果主義に傾きすぎています。学校が、官庁や企業みたいになってしまって、子どもは成果を出すために労働させられています。
 「その子にとっての学び」を尊重することが大事です。それには教科書だろうが、授業だろうが、学校だろうが、みんな白紙から検討すればいいのに、と思います。

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多様な学び保障法

「子どもの多様な学びを保障するための法律」(仮称)という法律を作ろうという動きがあります。そのための「多様な学び保障法を実現する会」があり、私も発起人の一人です。

 どういう法律かというと、現在の学校以外の学びの場を選択できるようにしようというものです。いま行われているフリースクールやホームエデュケーションが合法化され、多様な教育が可能になります。

 世界にはいろいろな教育があります。シュタイナー教育、モンテッソーリ教育、フレネ教育、デモクラティックスクールなど、いろいろあります。家庭で育ててしまう、ホームエデュケーションもあります。ところが、このような教育を日本でやろうとしても、制度の壁が厚くて、なかなかできません。

 しかし、実際には、法律上の学校以外に、草の根のたくさんの学校ができて、現在の学校に合わない子どもたちや、他の教育を求める人たちの受け皿になっています。
 その現状を、きちんと制度化しようというものです。

 マイノリティ保護のための法律ですが、従来型とは違う教育が選択肢に加わるようになり、「教育とはなにか」の視野を広げることになるでしょう。

 まだ、骨子案を作っている段階であり、難しい問題もいろいろあるのですが、国会議員によるフリースクール議員連盟もあり、かなりの実現可能性を持っていると思います。

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