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生きるアート

 秋の日差しが窓に差し込んでいます。カーペットに光の模様ができています。

 ヒヨドリがピーピー鳴いています。壁に掛けた時計が、かちかちいっています。

 疲れを貯めていたので昨日たっぷり休養し、整体にもいきました。きょうは身体が穏やかです。

 それから、「やらねばならないあれやこれや」を想い出しました。それで頭をいっぱいにしてそこから一日の行動を組み立てそうになります。
 でも...。ああ、ここに住みたいのではないのだよ。
 考えがいつも中心にあって、すべてを説明し、方式をいつも蓄積し、命令を出している状態。
 そこが、不幸の元なんだよ。

 考えは、生きることにとって大事なパーツの一つです。
 でも、パーツの一つにすぎないものにしがみつくから、人間が考えの奴隷になります。さまざまな教条主義が発生します。

 人間がそうだから、人間関係のすみずみで、たくさんの無理解と強引さが発生する。それが社会構造になっていく。社会問題が限りなく発生する。

 そうではなく、「生きるアート」とでもいうようなものがあります。あたりの事物の刻一刻の移り変わり、身体の声、さまざまに移り変わる感情、事実を的確に映す思考、他人の言うことの傾聴......、それらすべてが大事なものです。生きることは、そういうものがパーツとなって、一つのメロディーになり、祝祭になっていくものです。

 考えで自分や他人を支配することを訓練している教育は、人間と社会を不幸にしています。

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