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2012年9月

ほんとうは強制力で成り立っている学校

 公立小中学校は、法律のバックアップで、強制的に生徒を集め、生徒が聞いていようがいまいが、授業を遂行するところです。生徒が学ばないと、生徒個人個人の無能力や家庭の努力不足のせいにされます。
 それだけだと言っては申し訳ない、楽しい授業がないこともありません。一部、いい先生もいるし、いい学校もあります。でも、やはり、それはほんの一部。
 学校は基本的に強制力で成り立っています。
 「学校に来ないとたいへんなことになるぞ」という暗い脅しが底流に流れていて、その頭上に、「明るい、生き生き、自主的」というような垂れ幕や銘板が飾られています。

 学校が強制力をなくしたら崩壊することを、やっている人たちは予感しています。だから、「強制しないと勉強しない」、「勉強はさておき、社会性が必要」、とさまざまな理屈をつけます。それによって、強制力でも振るわないと存続できない教育が、存続します。

 そういう強制力で成り立っているところで、「ゆとり教育」をやろうとしても、「ゆるみ教育」になります。

 それではまずいと強制力を強めると、また「思考力不足」、「学力格差」の問題が浮上するでしょう。落ちこぼれが増える問題が再びクローズアップされるでしょう。新学習指導要領が実施された今年度から、不登校はまた増加に向かうと予想しています。

 現体制を温存したまま、「ゆとりだ」、「学力だ」と、上から指揮していても、どうしようもないのではないでしょうか。教育というのは、泥臭いものでして、官僚組織に指揮できるようなシロモノではないです。
 ゆとりを実現するには、それなりの学校運営体制と教師力が必要です。学力を追求するのでもそうです。もっともっと現場感覚と自由が必要なのです。

 大事なのは、学びです。子どもの学びを知っている人たちが、教育を作っていけるようにしないといけない。子どもに接していない官僚組織が、教育内容にまで口出ししていばいけないです。
 なによりも、志を持った人たちのために学校を作る自由が必要です。

 教育は、職務の遂行から生まれるのではありません。
 子どもの学びに対する理解、子どもと教師の共感から、常に新しく生まれるものです。、

 「子どもと保護者のための最善を為してください。細かいことは言いません」
 そう言って、資金と施設の手配をし、関係者をコーディネートすることが、教育行政の仕事だと思います。

 幼児を見ていると、自発的によく学ぶものです。教えなくても、さまざまなスキルを身につけ、知識を増やしています。あんな力を持った子どもたちが、学校に行くようになると、どうしてあんなにダルになるのでしょうか。どうして落ちこぼれがでるのでしょうか。
 学校に出席しているけれど、学ぶ権利(教育を受ける権利)を損なわれている子どもたちがたくさんいます。


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