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情熱と理解が湧き出る泉

 われわれは、わけのわからないものに取り囲まれて生きるようになっています。

 テレビの原理をどれだけの人が知っているでしょうか。自動車は? 冷房は? コンピュータは?
 根本的な仕組みがわからないものの中で暮らすと、われわれは、なにか落ち着きの悪さを感じ、表面的な行動だけ合わせて生きるようになります。

 社会の仕組みについても、われわれはわけのわからないものにこづき回されて生きています。とにかく、試験があるのだ、落ちこぼれてはいけないのだ....。

 学校は、1時間ごとに、数学、国語、理科、と目まぐるしく科目を変えます。生徒は、授業が始まるたびに、自分の関心を捨てて教師の差し出すものに合わせることを要求されます。ある科目に関心を持ったとしても、50分後にはそれを捨てることを要求されます。家庭生活にまで、宿題や塾が入り込みます。
 このような教育を行っていると、どうしても生徒の自発性が低下します。そこで学校は、強制、賞罰、競争を使って生徒を動機づけます。ますます、生徒の自発性が低下します。

 このような教育は、浅薄ではないでしょうか。結論に固執する人間や、政治煽動やゴシップに弱い人間を、大量生産しているのではないでしょうか。

 そうではなく、人間の深いところに、情熱と理解が湧き出る泉があります。それは、騒がしさや強制の中にはありません。静けさと感受性によって、その泉から水を汲むことができます。教育は、その泉との交流を助けることができるでしょうか。
 

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