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なぜ成績をつけるの?

 なんで教育に成績付けがあるのか不思議に思いませんか?

 子どもが自転車に乗ろうとチャレンジしています。習得が早い子もいる、遅い子もいる。でも、たいていは乗れるようになります。乗れるようになれば嬉しいです。自転車に乗るのを楽しんでいます。実用にも使っています。
 その子が自転車に乗れたことの成績付けをしますか? 習得が早ければエラいのですか? いったいどうやって成績にしますか?
 態度・関心、技能、なんて項目わけしますか?

 成績や評価って、大人が強制的に教え込むときに生じるのではありませんか。『学び』そのものとは関係ないのではないでしょうか。

 大人の役割はもちろんあります。大人は、乗れるように手伝います。自転車も買い与えます。子どもが乗れるようになったら、大人も嬉しい。よかったねと一緒に喜びます。
 それが、教育ってことでしょう。図形の性質を掴むことも、外国語を覚えることも、同じだと思うのです。大人は手伝います。おもしろさを伝えようとするでしょう。でも、成績付けをするなんて、傲慢だと思います。
 もちろん、細かいことでテストがあってもいいし、ゲーム的に点数をつけてもいい。でもそれは、できるようになるための手助けであって、子どもを評価することではないと思います。

 できることそのものが喜びなんです。だから幼児はあんなに学びます。幼児が、どんどんしゃべるようになってボキャブラリーを増やしたと成績付けしますか。

 それを、やればエラい、やらなければダメな子。

 学校教育って、なにかが根本的に間違っている思います。先に教科書ありきになってしまっていて、人間そのものを見失っている。私は、嫌いでした。大事な学びは、庭の草や虫や、本の中や、台所の道具類の中にありました。教科書勉強やテストなどは、なんか薄っぺらくて、まがいものの感じがしました。

 ただ、学校教育を嘆こうというのではありません。
 オルタナティブ教育と呼ばれる、成績付けなどしない教育方法が、いろいろあります。シュタイナー教育とか、サドベリータイプ校とかは、けっこう知られています。家庭で育ててしまうホームスクールという道もある。
 こちらのほうが、学びの本質をついています。

 いまの成績付け教育が全盛ですが、さほど教育上の根は深くないと思います。そういうことをするようにシステムができ、行政と財政で支えているからそうなっているだけ。ひっくりかえるときはかんたんにひっくり返る。30年後には、そうとうな変化が起こっているだろうと思います。

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コメント

まず、自転車と学校教育を同列で語るのは少し違うと思います。
学校の教育は権利であり義務でもあります。
自転車に乗れるかどうかとは違います。

成績をつけるのが悪いのではなく、
「やればエラい、やらなければダメな子」と考えるのがいけないのではないでしょうか。

成績は「どのぐらい理解できたのか」を知るために学校教育上必要なものだと思います。

いずれ社会に出たとき、否応なく結果を出すことを要求され、人と比べられる場面は嫌というほどあります。
それを全く経験することなく社会に出る子供は不幸だと思いませんか?

学校は楽しさを教えればそれでいいという場所ではないはずです。

投稿: 通りすがり | 2012年6月11日 (月) 15時59分

教科書ありきの授業、私も大嫌いでした。

小学校で「じゃがいもにでんぷんが含まれているかを調べましょう、ヨウ素液で紫色になったらデンプンです。はい、なりました」というような授業を受けた時、「馬鹿にされてる!」と思いました。あまりのつまらなさ、押し付けなやり方で子ども心にショックを受けました。


せめて小学校は、「学ぶことの楽しさを知る、経験する」場所であるべきだと思います。
学ぶことの楽しさを知っている子どもは、押し付けなくても、自分から進んで勉強するようになるのですから。

投稿: おいかわ | 2012年6月11日 (月) 16時50分

ジャガイモがヨウ素液で色が変わってもおもしろくないですか?BTB溶液など色が変わる試薬っておもしろいと思うんですが。電池で豆球が光るだけでも楽しいですよ。つまらない子は何してもつまらないのでしょうか?

投稿: kazukitea | 2012年6月15日 (金) 14時17分

 文科省はじめ役人は,人をタテに並べようとするものです.今の日本の教育は,そのタテ並べの発想にとことん侵されています.
 皆が当然と思っているシステムですが,その根拠は意外に薄くお粗末なものです.この記事のように,システムの根底に対し疑問を表明することが,いま日本の教師に求められていると思います.

投稿: Ladybird | 2012年6月16日 (土) 03時08分

成績(点数)は、本来教員が子ども達の理解度を把握し、
授業改善を図るために必要な数値です。
しかし現実は、受験校の振り分けのための数値
(物差し)としてしか使われていないですね。

勉強(点数)獲得は、向き不向きがあります。
その子の認知特性によっては、教員の授業改善努力なしには
理解不能な学習課題も少なくありません。
成績は、教員の授業改善にこそ役立てるべきものと思います。

投稿: カエル | 2012年6月16日 (土) 18時23分

まず、「成績付け」は正しい用語ではないので正確な意思伝達ができない恐れが強いので、「評価」と言う言葉を使います。日本の公教育も世界のオルタナティブ教育もすべて評価活動をします。評価をせずにその教育法が優れているか判断することは不可能だからです。オルタナティブ教育を受けた生徒の方が学力が高く、犯罪率が低いという主張がありますが、取りも直さず評価を行った結果、その結論を得たということです。自転車の例でも、達成を認めたり共に喜ぶことが評価にあたります。子どもは正当な評価を受けることで自分の価値を認めることができます。評価の中身を議論することが大事です、評価を否定することは決して建設的な議論にはならないでしょう。

投稿: kazukitea | 2012年6月19日 (火) 21時07分

私はこのブログで、フリースクールでなんで大量殺人が起きないんだとか、フリースクールで銃乱射事件が起きたらこう報道するだろうという架空のニュースの記事を載せたり、その記事を抜粋して日本中のフリースクールや、その支援者支持者共などに送り付けてやったりしてやったし、誰も殺らないなら俺が殺ってろううと思ったし、神道信者に帰依し愛国心に目覚め、軍神候補者になって、私が気に食わない奴と話せばそいつのモノマネができるという特殊能力を得てからは、私が25歳になるまでに誰もフリースクールに物理的な特別懲罰を加えないなら私が実行しガンジーのように殉教してやろうと思ったし、それが私の神々から与えられし使命だと確信したが、しかし私はそれをする必要もないし、奴らには私が裁きを下す必要もなければ、私に裁かれる資格もないと分かった。
 しかも私がやらなくても神々がYOUに裁きを下してくれるということが解った。
 それはいったいどういうことか?私は寛容にして慈悲深いあえて教えてやろう。
 私はあの日以降に神候補者に特進し、ある儀式を行うと天罰を下すことができる神通力を得た。
 そして、その儀式を行った翌日にやつらに天罰が下った。次はYOU達の番だ。
 その天罰がどんなものかも死にゆく貴様らとそれを指でくわえてみていることしかできない哀れなネズミである貴様らに教えてやる。
 その天罰とは今月中に関東大震災が起き千葉県、神奈川県、東京のフリースクールの生徒は全員死に絶え、北関東のフリースクールの生徒も半数が死に絶え我が国の土になるのだ。
 さらに私がある儀式を行うとさらに天罰の効果が上がりもっとすごい罰が下るが、それはしないなぜなら私はいかなる敵にも愛を施すほど寛容だし、私自身も死ぬからだ。今はその時ではない。
 警告するYouに残された時間はわずかだ。運命は変えられないし避けられない。審判と運命の日は近い。

投稿: 元・S | 2012年6月20日 (水) 01時47分

成績を付けることについて、みなさまのいろいろなお考えを触発できたこと、嬉しいです。

元・Sさん、苦しまれたのですね。天罰を下すお仕事、なかなかたいへんかと思いますが、でも、大丈夫です。愛に基づかないものは、自滅していきます。

投稿: 古山 | 2012年6月20日 (水) 07時00分

自転車に乗れるようになるまで練習をさせ続けるということは、ある意味ものすごいシビアな結果重視主義教育だと思います。

一方、学校教育には、出来ないなら出来ないでよいという、甘えがあります。良い成績の子は良い子で悪い子は落ちこぼれだとか、そんなのは教育の本質から外れていると思います。

教育は、教授内容を完璧に習得させることこそが至上命題であり、それ以外の結論はあり得ません。教え子を評価する、しさえすればよいという甘えこそ過保護であり、子どもと教師、ひいては日本を堕落させるものだと考えております。

教育は、自転車教育が子供が自転車に乗れるようにならなければ意味がないのと同じように、完璧に身につけなければ意味がないんです。

だから、理想的な成績表は、オール5であり、むしろそれ以外の結論は要らないと考えております。

本物の愛があるなら、教育に真剣に取り組むのなら、それが出来るのではないでしょうか?

投稿: やまず | 2012年6月28日 (木) 02時22分

>ひっくりかえるときはかんたんにひっくり返る。30年後には、そうとうな変化が起こっているだろうと思います。

どんな変化ですか?根拠は何ですか?
ただ単に、ちゃぶ台返しをしたいだけですか?ちゃぶ台返しをした後は後片付けしなくちゃならないんですけど。
「ゆとり教育」をもう忘れたんですか?

元々のゆとり教育の内容は悪い物ではなかったんですが、本来の趣旨を歪められた運用になってしまったという事も有り、結局は見直される結果になりました。

投稿: 現実逃避は解決にはなりませ~ん♪ | 2012年8月23日 (木) 14時05分

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