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学ばなくなる理由

 人が学ばなくなる理由、それは降り積もったたくさんの小さな恐怖が、たくさんの固定パターンを作っているためです。他にも学ばなくなる理由はありますが、これが最大だと思います。大人でも子どもでも同じです。

 私自身、高校生くらいまで、人の話を傾聴できていました。自分の考えの枠組みなしに、相手が言っていることの中になんの留保もなく入り込み、その話を成り立たせているバックグラウンドや、話す人の人格まで感じ取る。これをやっていれば、格別の努力なしに、物事はすうっとわかってくるのです。
 それは、自分の考えがないということではなくて、自分の意見をいう時がくれば、自分の意見はまたすうっと生まれてきます。

 でも、私も大人になってから、相手がしゃべっているときに自分の考え事をしているようになりました。「これは、こういうことだ、ああいうことだ」と。そうしたら、ほんとうに頭が悪くなりました。

 それは、外から見ると「鈍くて、人の話をよく聞いていなくて、型にはまっている」という状態なのです。そうであることを、自分でよく確かめました。
 他人の前で考え事をしている私の状態は、外から見ると、あの物わかりの悪い人と同じなのです。
 あの物わかりの悪い生徒は、私のあの状態と同じなのです。

 しかし、それは、なんとかしようと思ったくらいでなんとかなるものではない。
 でも、いったい、なぜそうなるのだ。

 クリシュナムルティが、著作でいろいろ教えてくれていました。この人は「ご自分で見つけないかぎり、見つかりません」ということを説き続けている人です。答えは用意してくれていない。あらゆる感情と思考を、どんな非難も正当化もなく観察なさい、それだけです。

 自分の観察を続けると、理由がわからないたくさんの悲しみ、憎しみ、がありました。悲しみや憎しみがなんであるか、ぜったいに借り物の説明をすまい、わからないまま持ちこたえようと思いました。何年かそうやっていました。

 そのうちにわかりました。いろんな感覚や感情が理解できてきたら、どのように思考が浮かぶのかわかってきました。

 なぜ思考が湧くかというと、怖いときや心細いときに、すでに知っている良いことを思い起こせば、安心できるからです。思考は、怖いときや心細いときに安心するための条件反射になっている。だから、同じことを繰り返し繰り返し考えている。

 ちょっとでも恐怖や不安があると、たちまちお馴染みの思考がわき起こって、恐怖を遮断します。それは条件反射になっています。そもそも、思考の動機を感じないために、思考がわき起こる仕組みなのです。ですから、思考の動機は、なかなか発見できません。

 これは、他人からだとよくわかるのです。「あの人は、怖がっているから、知識をひけらかしている」と。ところが、本人にはわからないものです。本人は怖がっていることを感じないために、しゃべっているのです。
 条件反射が多くなって、思考リピーターになってしまうと、人とも、事物とも、交流が不完全になり、トラブルが多くなる。それでいっそう恐怖や不安が湧いてくる。これが、学ばなくなる理由です。いっそう、抱え込んだ結論を大事にし、条件反射を強化します。

 これらの条件反射ができるのに、躾と教育が関係していることは、言うまでもありません。

 しかし、過去にできてしまった条件反射からどうやって自由になれるのか。
 自分自身への、十分な注意深さがあれば、この条件反射がほぐれるのです。それはまた、人から人へと伝わるものでもあります。
 十分な注意深さ、それは愛情と呼ばれるものでもあります。全面的な理解の光が差し込むとき、脳に新しい回路が出来るとしか思えません。

 子どもの小さな怯え、それに共感し慈しむことができるとき、子どもを助けているだけでなく、自分の中の頑ななものもほぐれていくのだと思います。

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