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2011年7月

デューイの教育思想と日本

 ジョン・デューイというと、哲学者として有名であるが、この人が教育思想家でもあったことはあまり知られていない。

 デューイは、1890年代、シカゴ大学の哲学科主任教授であったときに、実験学校を作り、子どもの主体性を尊重する教育方法を実践している。1890年代と言えば、欧米においてもようやく義務教育が普及しつつある時代でもあるし、訓練的な教育に疑問が出されてくる時期でもある。

 デューイの教育思想は、その後の世界の教育に大きな影響を与えている。
 そして、1945年、日本がこれから大きな教育改革を行おうというとき、まず、米国から教育者使節団を呼ぼうということになった。団長として、まず白羽の矢が立ったのは、デューイであった。デューイは、アメリカ側からも日本側からも、「なんといってもこの人」だったのである。ところがこのときデューイはすでに85歳の高齢で、日本に来れるような状態ではなかった。

 1946年春にやってきた米国教育使節団は、なかなかよろしい事を報告書にしている。しかし、どうも抽象的である。新機軸の実験学校を容易に作れるようにしておけ、ということは言っていない。

 デューイが日本教育改革に直接に関係してたら、教育の自由は、大事なテーマの一つに入ってきたのではないかと思う。デューイは、押しつけの教育を嫌った人で、学びの主体は子どもであるという、教育方法上の大転換をやりたかった人である。
 別にデューイでなくてもよい、アメリカ人でも日本人でもよい、そういう主張の人たちがもっといてよかったのにと思う。

 日本の戦後教育は、教育理念を変えただけで、教育の配給制度は変えなかったのである。

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英知ある人間を育てられるか?

 英知のある人間を育てられるのだろうか? これは教育にとって大きな問いだと思います。

 育てる方法はないと思います。「これが英知だ」というものがあって、それを習得しようとすれば、型にはまった凡庸な人間になってしまいます。

 しかし、英知を損なわないようにする道はあります。

 英知があるというのは、感受性があることと、先入観がないことです。全身全霊で、ウソのない生き方をすることです。
 感受性も先入観のなさも、恐怖や利害に訴えた教育によって損なわれます。

 権威者と違うことを言う恐怖に捉えられたら、自分の頭で考えずに、受け入れられそうなことばかり言うようになります。

 恐怖があると、新しいことに取り組もうとしなくなります。いつも、お気に入りのイメージで意識をいっぱいにして、心理的安全を確保するようになります。 
 恐怖に捉えられた子供たちは、享楽や刺激を追い求めるようになりますし、学習では根気のなさと先入観の多さになります。

 野心や競争に訴えた教育は、知ったかぶりや、浅薄な言葉ころがしを助長します。

 人間の英知はもともとあります。子どもは全身全霊で生きることができます。しかし、大人になるまでに、習得した知識・技術や、経験した快楽にしがみついて生きることを覚えます。
 恐怖や欲で生きるようになってしまうと、どんな知識・技術も経験も生きないのです。

 これがわれわれの文明の姿だと思います。恐怖は尽きず、争いもつきません。

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放射線、原子力、核兵器

 大地震のあと、原発と放射線がどうなっているのかを、固唾をのんで見守ってきました。放射線と原子力のブログを別に作りました。どうか、こちらもご覧ください。
http://economyhuman.blog88.fc2.com/

 原発は、もうやめたほうがいい。

 でも、もっと大事なことがあります。核兵器の廃絶です。
 原子力発電は、原子力を平和に使おうとしています。たまたま想定不足で事故が起きたけれど、目的は発電だった。

 ところが、核兵器は、わざわざ人に危害を加えるために作ったものです。
 核戦争が起きたら、勝者などいない。すべての人間が苦しむだけです。人類全滅の可能性もあります。
 でも、核兵器は廃絶できない。「自分が使わなくても、相手が使うから」、怖くて手放せないのです。それほど、人類は深く恐怖にとらわれています。

 核兵器に対して、反戦運動は無力です。平和のための戦いが、平和をもたらすことなどありえません。
 どんなお説教も平和条約も無力です。それで、戦争がなくなるくらいなら、とっくに世の中から戦争はなくなっています。
 人類が恐怖にかられているかぎり、戦争はなくなりません。恐怖にかられた人間は、どんなことでもしてしまうのです。

 教育だけが、人類を恐怖から解放する可能性を持っています。
 あまりにも単純なことです。子どもを恐怖に訴えて動かそうとすることをやめましょう。賞罰、競争、脅しに訴えた教育をやめましょう。子どもに対する、心ないド突きやからかいをやめましょう。

 恐怖がないときに、人間は、事物とも他人とも、心を通わせて生きることができます。それは、欲しい物に目を血走らせたエネルギーではありません。理解と共感の中に、とてつもないエネルギーがあります。

 そのエネルギーを知っている人は、原子力より大きなエネルギーを手に入れています。

 

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