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2011年5月

20ミリシーベルト 学校だけの問題ではない

 学校の放射線基準の20ミリシーベルトが適切かどうかを取り上げる新聞記事が多くなった。反対する声も上がってきた。よいことだと思う。いままで「ただちに危険はない」でみんな済まされてきたのが、ようやく議論になってきた。

 ところが私は、単純にこの数値を引き下げろ、という問題ではないと考えている。
 私は、年間20ミリシーベルトは安全な基準ではない、ということには全く賛成なのであるが、これは深く考える必要のあることだと思っている。

 どういうことかというと、今回の福島事故の場合、学校に行かなければ安全かというと、そんなことはないのである。家庭にいても同じくらい被曝することが予想される。

 放射性物質は、いたるところに降った。校庭が危険なら、庭も、公園も、道も危険である。
 木造家屋では、屋内と屋内の線量がほとんど同じということも言われている。私の自宅(千葉市)で、知人の計測器を使ったときも、屋内と屋外が同じ0.20マイクロシーベルトだった。(高級機器ではないので、数値の精度は不明)

 年間20ミリシーベルトを避けるのは、学校だけをなんとかすればいいという問題ではない。もっとトータルな、子供の生活すべてに関わる問題である。子ども一人一人の問題としてとらえないといけない。

 有効な手段としては、疎開を検討しなければならないだろう。
 ところが、家族ぐるみの疎開生活をする、あるいは子供を親元から離すとなると、それ自体がストレスを生み、子どもの健康を損なう恐れがある。

 ガンになる危険と、疎開するストレスとどちらが大きいか、その見積もりもしなければならない。
 政府は、いったん基準を決めると、それを超える場合に無策というわけにはいかないから、疎開させないといけない。それを杓子定規にやると疎開の害のほうが大きいということもあり得る。

 年間20ミリシーベルトが具体的にどの程度の危険かというと、確率的に200人に一人程度が後年がんになる。(数値に諸説あるが、BEIR VIIの数値を基に、子供の危険率を2.5倍した。中庸を得た数値のつもりである)
 低線量放射線の害は、集団食中毒で、ばたばたと子供たちが倒れるようなものとは違う。似ているのは、むしろ交通事故である。交通事故の確率が突如上がったようなものである。

 もう一点、大事なことがある。それは、食品を通じた内部被曝がどの程度になるかの、実測による見積もりが出されていないことである。

 政府も新聞も、食品に関しては「ただちに危険はない」と「風評被害」にばかり気を取られていた。もちろん、パニックが起こるのはよくないし、生産者の立場も考えなければならない。しかし、実害の危険のあるなしを徹底的に調査するのが、まず基本であろう。食品の検査体制ができていなくて、ごくわずかなサンプル調査しかされていない。

 どの食品が危険かは、同じ県内でも、地域により、土壌により、作物によりまったくまちまちなはずだから、丹念に計測するしかない。しかし、検査体制は追いついていない。すでにかなりのヨウ素131を取り込んでしまった子供たちがいると想定して対策を立てるべきである。ヨウ素131による甲状腺がんは、外部被曝とはまったく別な経路で起こる。

 いまなら、まだ甲状腺にヨウ素131が残っているから、放射線計測機器で検出できる。量もわかる。減衰曲線から、どの程度を摂取したかが推測できる。もう一か月もするとヨウ素131が消滅して検出できなくなる。はやく検査をしないといけない。

 いま20ミリシーベルトは、学校の基準の問題として取り上げられているが、問題はもっと大きい。
 子どもがどのくらい被曝することになるのか、総合的にはやく見積もりを出し、それに対して対策を出さなければいけないだろう。
 学校と学童も心配である。しかし、学童以上に乳幼児のほうが、放射線に対する感受性が高い。

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