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千と千尋の神隠し ブタになったパパとママ

アニメ「千と千尋の神隠し」をみたとき、たまげた。
こんなに的確に、われわれの深層心理を描き出している作品があったのかと。

あの場面、あのキャラクターと、語りだせばキリがないのだが、「やった、描き出してくれた」と感動したものの一つに、「ブタになってしまったパパとママ」がある。

千尋とパパとママが、別世界の町に入っていくと、中華料理ふうの料理屋がある。店の人が誰もいない。そこで、パパが食べ物に手を出す。ママも手を出す。二人とも、おいしいおいしいと食べはじめ、だんだんガツガツと食べるようになり、そのうちにブタになってしまうのである。

そこから、千尋が一人で冒険を始め、最後はパパとママと助けるのであるが、この「ブタになったパパとママ」は日本の精神状況を見事に描き出していると思う。

多くの人が、夫婦そろって、享楽的な生活を送っている。対象は、食べ物かもしれない、服かもしれない、他人のゴシップかもしれない、パチンコかもしれない、とにかく感覚的な楽しみに没頭している。そうすると、子どもが孤独になるのである。両親の感覚が、人間が生きることそのものに、焦点を合わせていない。子どもは、自分のほうを向いてくれていない感じがするのである。

こういう親の享楽は、ほんとうの喜怒哀楽と違うのである。働き、生活する中に、おのずと喜怒哀楽というものがある。それは、子どもにもよく伝わるものであり、生き方の指針を示すことができるものなのである。
ところが享楽的な楽しみは、出来合いのものであり、真実味がない。何が起ころうが特定の感覚を呼び出して、すがりつくのである。子どもとの共感も生まれにくい。

いつもゴロゴロして、テレビを見ている生活。そして子どもに「勉強しなきゃだめだよ。そうでないとカアちゃんや、トウちゃんみたいになっちゃうよ」と言うのである。
これは、子どもの魂を傷つける。深く傷つける。

子どもに「こういうふうに生きるものなんだよ」と身を以て示せるものがない親に、子どもの魂は路頭に迷ってしまうのである。決して娯楽が悪いわけではない、楽しみを持つのが悪いわけではない、しかし、子どもには、真実味が必要である。

「千と千尋の神隠し」の中では、娘がこのパパとママを助け出す。
たぶん、現実でも子どもは、パパとママを助けようとする。それは、パパとママをリアリティに引き戻そうとする行動だろう。子どもは、親を喜ばせようとするかもしれない、注意を引こうとするかもしれない、困らせるようとするかもしれない。それらはみんな、「ほんとうのパパとママ」に声を掛けようとしているのである。

子どもといっしょに暮らす喜びというものがある。喜びだけとは限らないが、それはでっち上げられたものではないリアリティそのものである。それが、親を助けているのである。

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コメント

とてもよくわかる感じがしました。
生き様で見せたいな、と思います。

投稿: さかい | 2010年9月23日 (木) 22時18分

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