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眠らないこと

 がんばることについての小話。人から聞いた実話です。

  子ども 「ぼく、きょう学校の社会の時間ですごくがんばったよ」

  母   「そう、えらいわね。何をしたの」

  子ども 「うん、すごく睡たかったけど、がんばって眠らなかったんだ」

 話は急に変わってしまいますが、別な意味の、睡くても眠らないことついて。

 私は、十代の頃けっこう頭がよかったときもありました。好奇心が強く、当意即妙で受け答えし、学校の授業を聞いただけですべて習得している。家庭学習など一切しない。なんにもがんばらない、なんの目標も持たない。

 大人たちが、「古山は勉強しなくてもそんなにいい成績を取るのだから、勉強したらさぞかしすごいだろう」と思いました。

 とんでもない。
 私が勉強したら、なんの取り柄もない人間です。
 私は、知識を貯め込もうとしない、何の欲もない、先入観もなく、好奇心まかせで生きていたから、いつも物事を新鮮に受け止めることができてただけでした。

 その後、人並みに何かを得ようとする人間になり、成績は急降下するし、心は人並みに不幸になりました。

 いまじゃ、勉強しないと何も入らない、残らない。
 頭の中は言葉だらけ。胸の中は恐怖だらけ。

 がんばって眠らないので精一杯。
 もちろん、知性が眠りこまないことです。

 他人が、パターン化した思考にとらわれたり、言葉に陶酔しているのを見るのは、やるせないやら気の毒やらに感じるものですが、私も平気でやってます。でも自分のそれを、なんとか眠らずに感じ取ると、推測でもなく結論でもなく感じ取ると、何かしら美しいものがひとりでに流れ込んでくる。

 はは、偉そうに言っちゃって。
 でも、ほんのひとかけらでもそれができると、知性というのは蓄積できるものではなく、自分がやっている言葉でのでっちあげに気づくことそのものであることがわかります。

 学校でのいい授業は、実物の検証や討論を通じて、そういうでっちあげを子どもたちに気が付かせます。
 学校で子どもに、恐怖や不安に訴えてなにかをやらせるとき、子どもは思考やイメージに取りすがって、でっちあげの世界を作ります。

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