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2008年9月

悪者がいるのではなくて

 教育が悪いのはなぜかについて、生きた化石みたいな主張がいくつかあります。現在に対してけっこう影響力を持つから困ります。

 一つは、「日教組元凶説」。
 もう、日教組はそんな力をもっていないです。

 もう一つは、「文科省元凶説」
 文科省は、そんな大きな権限を持っていないです。

 さらに、「教育委員会元凶説」
 教育委員会にできることは、すごく制約されています。

 どこかに悪者がいるんじゃなくて、今の学校システムだと、文科省からヒラの教員まで、すべての人が他から制約されていて、「いい」と思ったことをし、「まずい」と思ったことをやめることができないんです。

 悪者探しをするより、従来の法令、慣習、人事からまったく自由な独立型学校を作って、意欲的な人にやりたいようにやらせたらいいんじゃないでしょうか。ただし成功するとは限らないから、学校を作るほうも、学校を選ぶほうも、自己責任で。

 上からいくらけっこうな改革方針を出して実行させたって、自発性や創造力は出てこないです。

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全国学力テストの目的がはっきりしていない

 昨年から、全国学力テストが行われている。調査のためだか、学力の向上のためだか、はっきりしないテストである。とくに、学力向上のためには、あまり役立たないだろうと見ている。

 私は、次のような考え方は、現実を見ていない人たちの空想だと思っている。
 「自分の位置を知ることによって、励みになって、全体の水準が上がる」
 ようするに、競争させれば水準が上がると考えているのである。ほんとですか? 上澄みの部分だけみていて、全体を見ていないんじゃないですか?

 テストの結果が励みになっているのは、上位層だ。しかしこの層は、べつに新たな動機付けをしなくてもよい層なのである。しかし、本当に学力が必要な層は、「お前はできない」ということを確認すれば、「そうか、ダメなんだ」と、かえってやる気を失うものである。教え方をどうすればいいか、教材をどうすればいいか、それを見つけないと意味がない。
 これは、定期テストでも、国が行う全国学力テストでも同じである。

 学力テストは、何が要因であるか、どう対応したらよいのかを見つけるのでなければ、意味がない。ただ競争をあおっても、うまくいかない。それは、国もわかっていて、結果の公表は避けているし、ちゃんとした分析をしようと頑張っている。

 でも、全国学力テストが始まった理由は中山文科大臣の「競争意識の涵養、全国学力テストの実施」方針だった。これは、基本的に競争主義である。日本の教育政策の多くは、教育に素人の代議士たちが方針を押しつけ、文科省が仕方なくきれいな理屈をつけて実施する。

 そのため、今回の学力テストは、要因分析の調査のためなのか、学力向上のためなのか、わけのわからないものになっている。とくに、学力テストと同時に行われる質問アンケートの、できが悪い。最初から、生徒の学習態度にばかり絞り込んでいて、学校への質問は浅くて的外れなものが多い。ようするに「もっと頑張らせよう」が見え見えなのだ。全然知性的でも科学的でもない。これだと、いちばん肝心な、教育施策との関係や、学校運営、学級運営との関連があまり浮かび上がらない。

 けっきょく、「算数が好きな子は算数ができる」とか、「生活習慣ができている子は、学力もある」とか、全国テストなどしなくてもわかっていることばかりが浮かび上がる。

 私も実際に学力テストを解いてみた。出題範囲が広くて、点数が悪かったとしても、これに直接対応するのは困難であろうと思った。とくに、Bの問題(活用力)は、PISA型学力を想定したもので、対応が難しい。

 学力向上のためにやるのだった、この全国学力テストは向いていない。その学年でやったことを、秋か冬頃に調査し、すぐに対応策を採るのでないといけない。実は、これは各地方ごとに、かなり行われているから、全国テストをするのは屋上屋を重ねているのである。

 それと私は、とにかく学力主義が嫌いである。教育をしらない官僚や政治家が教育に口出しすると、どうしても客観的な成果を求めたがり、数値化された結果ばかり求める。それで教育がおかしくなっていく。
 教育とは、子どもに頑張らせることではなく、子どもを幸せにすることだ。違うのか? 

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