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耳のシャッター

 しばらく忙しくて更新していませんでした。いつも読んでくださっている方々、申し訳ありませんでした。

 制度のことで言いたいことはいくらでもあるのですが、ちょっと広い話題で。

 会合に出ていて、誰かが何かを言っているときに、自分の考えにふけっているもので他人の発言をさっぱり聞き取れていない、ということありませんか。私はしょっちゅうです。

 誰がしゃべっているかにすごく関係します。自分に親しい人だと、自然に聞き取っています。印象の良くない人だと、どうも聞いていられない。頭だけの理屈でしゃべっている人の話がどうもだめ。私自身のことを棚に上げて自分勝手なことですが、どうも聞いていられない。
 攻撃的なしゃべり方の人もだめだし、自己顕示欲が見え見えだとかすると、いつのまにか自分の耳が閉ざしてしまっている。その人が何をしゃべったのか、ほとんどわかりません

 もちろん、話題によります。私が興味のあることなら、よく聞いています。
 体調にもすごく関係していて、疲れている時はとうぜん聞き取れません。

 話は飛躍しますが、この”聞いていない”現象が「お勉強ができない」現象の、根幹にあるのではないかと思うのです。人の話に対して耳が閉じた状態です。多くの子どもで起こっています。とうぜん、授業がなにも入らない。

 小学生や中学生のころ、先生に指されるとハッとして立ち上がるけど、何を聞かれてもわからないままの同級生たちがいました。”頭が悪い”という印象を与えるのですが、そうではない、耳が閉じていて、自分の考え事にふけっていた状態なのです。それどころではない、たいていの子たちが、授業中は考え事をしていました。だもんで、家で勉強する必要が生じるのです。なんてバカバカしいことをしているのだろうと思っていました。

 いまになって、そうか、あの子たちは私の今の状態でいたのだな、と思います。頭の問題ではなく、耳にシャッターが降りた状態。
 私塾で教えた子どもたちにも、教えていてなかなか入らないから、よほど頭が悪いのか国語力がないのかと思うと、ちょっと相手と局面が変わると、話もよくわかるし、機敏に頭を働かせているのによく出会いました。授業になるとだめなんです。

 あまりにもありふれた現象なのに、心理学も教育学も、さっぱりこのことに触れていません。しょうがないから、自分で少しずつでも言葉に組み立てようと思っています。とにかく、私という実例があるのだから、観察しやすいですし。

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