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市教委と一部マスコミによる”魔女狩り”

 新潟市で08年5月に出された13名の不登校督促事件に関して、「財界にいがた」という、地元の月刊誌が記事にしている。ようするにこれは”魔女狩り”だと。
 この内容は、私が取材して得た感触に近いものである。

 5月下旬の新聞報道は、怪しい団体が蔭にあって学校に行かせないようにしていることを示唆するものであった。
 その後のフォローの記事はない。それは、そうであろう。ここには、カルトめいた問題はなかったのだから。

 親たちは、たしかにミコト・カレッジという幼児教室に来ていた人たちだった。しかし、このミコト・カレッジの教育観は、「子どものことをよく理解する」であり、そのために実践的に親が子どもに関わるやり方を開発していた。ここの教育思想に「学校に行かせない」に類したものはない。
 本音が言える子どもたちがたくさん育った。そうしたら、学校に行きたがらない子どもたちも現れた。親はその子ども達を保護しようとした。自分たちでフリースクールを作ろうとした。
 要約すれば、それだけのことである。

 ミコト・カレッジに行けば学校嫌いになるかというとそんなことはなくて、楽しく学校に行っている子どもたちのほうが多い。

 新聞記事になったそもそものきっかけは、市教委から発したものではない。逆であって、出席督促を受けた親側が「これはおかしい」と思って、新聞社に通報したことによる。
 そうしたら、市教委側に取材した記者が、市教委の見解に沿って記事を書いた。市教委は「怪しい」という予断を持っていた。

 しかし、実際のことを調べると、市教委は現地の調査に来ていない。事実誤認もたくさんやっている。裏付けをとる作業が足りないままの危うさに、市教委自身が気が付いていないのだと思う。
 教育委員会というところは行政の一つなのに、選挙の洗礼は受けない。市長に指揮されているわけでもない。そもそも、正式な職務の中に、住民の意思を代表するという項目がない。教育委員は複数いるが、月に2回くらいの会合に出てくるだけである。実質は、教育長の独走になりやすい体質を持っている。

 「財界にいがた」の記事は、第1章タイトルを「市教委と一部マスコミによる”魔女狩り”」としている。この言葉でほぼ事件の全容が現されているように思う。意図的な不登校狩りではないが、影に怯えた思いこみが相当にあり、事実確認を怠っているから、市教委はこのくらい言われてもしょうがないであろう。

 しかし、今回の問題は、ただの魔女狩り問題にとどまるものではない。
 根本に、もっと本質的な教育問題が横たわっている。

 ある親の方が言っていた。「子どもがほんとうに学校に行くのを嫌がっているんです」と教育委員会の人に言うと、「子どもは、学校に行きたくないって言うものですよ。それを真に受けてはいけません」と言われて、話がぜんぜん通じないという。

 問題はいくらでも出てくる。
「行政と親と、どちらが子どものことを深く理解しているか」
「『学校に行きたくない』という子どもの言葉の信憑性をどう判断するか」
「学校は必ず子どもにとって最善なのか」
「親に教育を選択する権利はないのか」
  学校教育とはなにか、義務教育とはなにかを、突きつけてくるような問題である。

 06年に教育基本法が改正された。その第十条に
「保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする。」

 「子どもの発達のためにどうしたらいいかを決める責任者は親ですよ」と言っているではないか。この条文ができたので、子どもの教育に責任を取るのは誰なのかの問題は、新しい局面を迎えていると思う。

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