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新潟市教委の出席督促

 新潟市の小学校が、13名の子どもの親に対して出席督促をしたとの報道があり、大きな波紋を投げかけた。

 親側の人たちに直接話を伺う機会があった。事実関係で、報道とは大きな食い違いがある。

 この問題を突き詰めると、日本の教育システムが戦後の仕組みそのままであり、未整備な部分がたくさんあることに行き着くと思う。
 今後も、「親が悪い」、「学校が悪い」、「教育委員会が悪い」、「どうせカルトだろう」、などの悪者探しが横行するであろう。しかし、どの人も大きなシステムの中で、自分の立場を懸命に生きているだけと思われる。それぞれの人がなぜそうせざるを得なかったかを、暖かく視るべきだと思う。

 実際の報道は次のようなものである。
 新潟市の小学校が出席督促書 新潟日報 08年5月29日
http://www.niigata-nippo.co.jp/pref/index.asp?cateNo=1&newsNo=110713

 朝日、毎日、読売の地方版も、この件を報道している。各社の新聞報道をさらりと読むと、たいていの人には「これはカルトが裏にある。市教委はその子どもたちを助けようとしている」という推測が湧くであろう。裏付け取材はないのに、匂わせるような記事になっているのはまずい。

 私の知るところを書く。

・ このグループは、子どもの感情を尊重しようという幼児教室が発展した子育てグループである。宗教性、政治性はない。子どもの意見をどこまで尊重するかで、多数派の教育観との違いがあるが、常識の範囲内である。

・ 親側は、学校と話し合って不登校扱いとしてもらうことの通常のプロセスを踏んでいた。

・ 13名のうち4名が新一年生であり、当初から学校にいっていない。しかし、事前に学校側に諒解を取っていた。小学校にあがるときに「この子は、いま、学校は無理だ」と判断されるケースは多く、たとえばフィンランドでは就学年齢を遅らせることが認められている。しかし、日本では、「学校に一日も行きもしないで学校を忌避するのはおかしい。どうせ、カルトだろう」と判断されることが多い。

・ 「ホームスクール」あるいは「家庭で責任を持って育てます」の言葉が、当局側を大きく刺激したらしい。学校長→市教委と報告が伝わるうちに、親側の言った文脈とは切り離されて解釈されたようである。

・ 新潟市の教育委員会規則によると、出席督促は各学校長の判断で出すことになっている。そのため、親側にとっていったん話がついているはずの学校長から文書で出席督促がなされた。これは、親側に大きなとまどいと衝撃を生じさせた。実質の指揮者は市教委である。校長たちは板挟みの立場と思われる。

・ 新潟市教育委員会は、2006年4月からの「不登校未然防止プロジェクト」で、2008年までの3年間で、不登校の児童生徒を半減させることを目標にしていた。

・ 不登校に対する学校側の基本方針は、時代によって大きく揺れている。「学校復帰一本」→「容認、静観」を経て、現在は、「放置せず」の方針に変わり、マニュアルも存在する。これは、現場の教職員には、通常業務以外のたいへんな経験と判断力と時間的・体力的負担を生じさせる方針であり、積極的な実行は困難である。現場から市教委へは、ツジツマ合わせの報告が多くなり、市教委の判断が現実に立脚しなくなるのではないか。
 また、「放置せず」は基本的には学校復帰策の一つであり、それでは無理な事例がかなりあると思われる。

・ 不登校は、大きな社会問題であり、学校に行かないことは事実上容認されている。しかし、そのための法的整備はなされていない。そのため、行政の対応が恣意的であるし、教職員も、親も、法律の援助なしのつらい立場を強いられることが多い。

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