« 骨抜きにした教育委員会を立たせる?! | トップページ | ○○高校何名入学 »

生徒の自殺への責任の取り方

 08年3月25日に、東京都板橋区のマンションで小6の男子が飛び降りて死亡した。この子は卒業式の「門出のことば」で「大好きな○○小学校」と言うところを「大嫌いな」と言ってしまった。式後、校長が「何であんなことを言ってしまったの」と尋ねると、「緊張して間違ってしまった」と答えたと言う。遺書のようなものがあり、自殺とみられる。(朝日新聞(東京)3.26・夕刊)

 新聞報道に誤りがないとしてだが、(事実が複雑な場合も、おうおうにしてあるから)、私はこの校長に、業務上過失致死を問うべきだと思う。
 校長に悪意はまったくない。校長もたいへん苦しんでいるであろう。しかし、このような事故は再発防止を最優先すべきである。量刑はもっとも軽いものがよい。しかし、不適切な言葉によって業務上過失を問われることがあることを確立すべきだと思う。

 これは、交通整理の指示が不適切で車を谷底に転落させてしまったとか、電気工事で電線の被覆が不十分だったので火事になってしまったとか、そのような事柄であると思う。悪意がまったくなくても、知識や訓練が不足していてはいけないのである。

 業務上過失を問われるには、それが予見可能であり、回避可能であったことでなければならない。
 校長先生という立場の人が、大きなミスをした子に「何で...」と尋ねたのである。いくらその気がなくても、詰問されたと受け取られる可能性があることは予見できるのである。

 「何で」とか「どうして」とかという尋ね方は、危ない言い方である。言ったほうは「単純に理由を尋ねた」、言われたほうは「詰問された」となりやすいのである。これは、カウンセリングのイロハである。普通の人にこの知識を問うことはできないが、教員という職業にたずさわる者には要求すべき知識だと思う。防災訓練が行われるのと同様に、教員に対する訓練が為されていなければいけない。

 従来、このような事件は、「その子が、特別に感じやすい子であった。いろんな特殊事情が重なった」として、学校側の責任が問われないことが通例である。私はそれではいけないと思う。こんなケースなら、ちょっと繊細な子には、誰でも起こりえるではないか。
 とにかく、学校で起こってはならないことが起こったのである。「その子が特別だった」で済ませていたら、教育の場としては、道徳がひどく退廃していると思う。

 業務上過失という刑事責任までは問えないケースであるかもしれない。それでも、管理者側は道義的責任を取るべきだと思う。
 学校に起因する生徒の自殺が起きたら、校長と教育長は責任を取って辞職するという慣習を作るべきである。直接の過失がなかったとしても、そうすべきである。起こってはならないことが起こったのだから、最高責任者は防止できなかったことの責任を取るのである。そのような姿勢があったときに、具体的な再発防止の知恵が切実なものとして教員や保護者から沸き起こるであろう。

 「その子が特別だった」と学校や教育委員会が済ませてしまうのは、刑事責任や賠償責任の問題として正当であったとしても、私は「学校というのはなんか退廃してるなあ」と思う。
 
にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ  応援クリックのためのバナー

|

« 骨抜きにした教育委員会を立たせる?! | トップページ | ○○高校何名入学 »

コメント

本当にその通りだと思います。
校長だけでなく、学校の先生や関係者の方には、心理面の訓練?を受けてほしい。
保護者の希望者も受けてみたらいいと思います。私も受けたいです。
そのお子さんが自分の子だったら、という視点で誰もが考えるべきです。

投稿: 加藤恵子 | 2008年5月13日 (火) 16時23分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/209056/41159107

この記事へのトラックバック一覧です: 生徒の自殺への責任の取り方:

» フリーター [フリーター]
フリーター [続きを読む]

受信: 2008年5月11日 (日) 03時06分

« 骨抜きにした教育委員会を立たせる?! | トップページ | ○○高校何名入学 »