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2008年4月

いつでも大学教育を受け直せること

 80年代に臨教審が”生涯教育への移行”を打ち出し、それ以降、国の方針の中にはいつも”生涯教育”が入っている。教育基本法に”生涯教育”の条項もできた。

 この生涯教育の内容は、どうも、図書館とか公民館の整備のようなことと捉えられているようだ。そうではない。生涯教育の持つ最大の重要性は、「いつでも、大学や専門学校に入り直せる」ことなのだ。

 個人の側からすると、「どうも、自分の適性は違っていたようだ」とか、「スキルアップしたい」と思ったら、いつでも大学や専門学校に入り直せること。
 社会の側からすると、時代の変化や産業構造の変化に伴って、人々が柔軟に別な分野に移動していくことなのだ。

 スウェーデンがすでに本格的な生涯教育体系を作り上げているが、この国が産業構造の変化に対して柔軟であることはそうとうなものだ。スウェーデンも、90年代初頭に日本のバブルと同規模のバブルに見舞われているが、そこからの立ち直りは実に早かった。

 「いつでも、大学や専門学校に入り直せる」ことの、絶対的な条件は、「高等教育の無償」である。大学がタダ。いったん社会人になってしまったら、学費を払って学校に行き直すのは、ものすごく難しいことなのだ。

 日本で高等教育の無償と聞くと、「夢物語」とくくられるだろうが、スウェーデンだって、フィンランドだって、フランスだってやっている。日本だって、あと5兆円ほどつぎ込めば、幼稚園から大学まで、私立も含めてタダにできる。消費税にして、約2%の金額である。
 「高等教育の無償」の重要性を考えてほしい。それが、どれほど、社会を安定させるか、個人の可能性を開くか。

 公共事業費をいくらつぎ込んでも景気回復しなかった。現在の経済状況は、教育や福祉に予算を回したほうが、経済が活性化する。おまけに教育に注いだ金は、将来の見返りがある。
 毎年5兆円くらい安い、安い。
 
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中央で、政治と教育が分離していないわけ

 戦後教育行政は、地方では教育委員会を作って、政治ときちんと分離したのに、中央では政治と文科省が分離していません。これはおかしいと思います。教育が、政治による奪い合いの対象になってしまいます。
 文部科学大臣は、政権政党から送り込まれます。そして、学習指導要領も教科書検定も指揮できる立場にあります。おそらく、直接の指揮はかえって反発を招くのでやりにくいでしょうが、影響力を駆使することは可能です。
 学力テスト、教員免許更新制などは、中山大臣が方針を出し、中教審がそれにあった答申を出し、という経過で実現しました。政治主導です。

 どうして政治家が教育の細部まで指揮権を持てる仕組みを作ってしまったのかと、戦後教育改革を調べました。当初、文部省も中央教育委員会に改組する案が出ていたのです。ところが、そのころの案では、カリキュラムも教科書検定も、すべて各地方の教育委員会に委譲することになっていました。文科省は、ほんとうに縁の下の力持ちになる予定でした。
 それなら、文部省を改組する必要もあるまい、と中央教育委員会は見送られました。

 ところがその後、文部省は”暫定的に”、教科書や学校基準設定権を持ち、主要な権限の譲渡をまったくやりませんでした。そのため、政党に属する大臣が指揮する文部省が、教育の細部まで決める権限を持ち続けました。

 中央集権で行き詰まった教育を立て直した例にフィンランドがあります。フィンランドは、教育省と国家教育委員会を分離させ、法律と予算は教育省、教育内容は国家教育委員会としました。

 日本も、これに相当する分離をきちんとやるべきです。

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戦後教育行政の不幸な歴史

 ちょっと忙しくて、更新に間を開けてしまいました。

 戦後日本の教育は、教育委員会という新制度を中心にやっていこうという人たちと、そんなアメリカ輸入の制度ではなくて国としての教育をやっていこうという人たちの二派がありました。

 けっきょく、国としての教育をやりたかった人たちが主導権を握りましたが、名を捨てて実をとった形になりました。それが、教育委員会は名目は責任者になっているが、非常に弱体化している理由です。

 ところが、90年代にはいって、学校と教育委員会の自主性や、地方分権が言われるようになった。そのときになって、教育委員会を弱体化させてきた仕組みが、こんどはネックになりました。いくら自主性と活性化を言っても、なかなか動けないのです。
 現在の教育委員会は妥協の産物としてできているので、なぜ作られたのか、なんのための組織なのかもわかりにくいです。

 文科省、教育委員会のあり方そのものから問い直さないといけないのですが、学校と教育委員会を弱体化させている構造に手が付けられません。
 その構造というのは、「学校教育法」等による国の学校基準設定体制、「地教行法」による権限分散体制です。保護者・住民に対して責任をとる仕組みを閉ざしていることも大きいです。

 学校と教育委員会を弱体化させている構造に手をつけないまま学校と教育委員会を活性化させようとするから、教育改革は精神論が流行るようになるし、現場を疲れさせるだけのことが多くなります。。

 拙著「変えよう!日本の学校システム」(平凡社)に、できるだけ読みやすい形で、歴史的経過と現状をまとめてあります。読んでいただければ幸いです。

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