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公教育批判 米国と日本

 米国では、1960年代に公教育に対して批判が噴出する。画一的、権威主義的であることが批判され、公教育を改革する運動が起こるし、民間には草の根フリースクールが雨後のタケノコのようにできた。

 この状況が、1990年代以降の日本とたいへんよく似ている。

 ところが、けっきょく、アメリカでの教育改革で今も大きな規模で残るのは、チャータースクールとホームスクールである。
 アメリカの公教育の自己改革は、いろいろなものを生み出してはいるが、平均的にはあまりうまく行かなかったと見てよい。少人数学級が改革の切り札のように言われたが、厖大な予算をつぎ込んで、その結果はさほどはっきりしたものではない。

 結局、アメリカの場合、改革エネルギーは教育機関の多様化に向かった。チャータースクールは、補助金つき私立学校のようなものであるし、ホームスクールは学校への不信任そのものである。

 日本の場合、この多様化が起こらない。日本では、アメリカより教育の統制がはるかに強い。それで、オルタナティブ系私学や特色の強い私学が出てきて、教育文化を刷新していくことが起こらない。チャータースクールもホームスクールも制度が認められていない。
 そのため、日本では民間からの教育運動がか細い。

 しかも、日本の場合、戦後の55年体制教育システムがまだ終わっていない。55年体制教育システムというのは、教育が東西対立に巻き込まれて、教員に主導権を取らせないようにし、保護者・住民の運営参加権を奪ったシステムである。そのため、公教育の中でも、現場からの問題点フィードバックがとても弱い。

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