学校教育法は「きれい事支配」の原因
学校教育法の改正案に教育目標変更がある。これまで、小学校と中学校の教育目的が別々に書かれていたのが、「義務教育として行われる普通教育」の目標として一本化された。
たいして意味のない改正だと思う。理念を掲げてその実行を迫る教育法制は、学校や教育委員会の「きれい事支配」を強めるだけではないか。
目的・目標は教育哲学にまかせて、教育法制は、問題があったときの対応方法の体系を作ったほうがよい。問題を見つけた人がどう訴えればいいのか、どこが責任を負って対処するのか、泣き寝入りする子どもが出なくてすむようにするにはどうしたらよいか、そういうことをきちんと整備すれば、学校に自律的回復力が働く。
官僚機構が理念法で指揮するから、学校はいつまでたっても、きれい事を復唱する体質から抜けられないのである。
教育目標をあれこれ法定しても、そうたいして意味を持たないと思う。旧教育基本法にけっこうなことがたくさん書いてあったが、それが実現しなかったのと同じである。それより、
・ 学校に対する上級官庁(文科省、自治体)の指揮権がどうなるのか、
・ 学校評価を自己評価でやるのか外部監査をやるのか
・ 外部監査をやるとして、誰がやるのか
・ 評価、監査の着目点がどのようなものになるか
のほうが決定的である。これによって目的・目標の使われ方が決まる。評価や監査に対して、学校の自主性が十分でないと、学校は窒息するであろう。
学校教育法での教育目標をすこし詳しく見ると、注目点は、教育基本法第五条に拠り所を求めたことである。
義務教育として行われる普通教育は、教育基本法第五条第二項に規定する目的を実現するため、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。(第21条)
教育基本法第五条(義務教育)第二項というのは、
2 義務教育として行われる普通教育は、各個人の有する能力を伸ばしつつ社会において自立的に生きる基礎を培い、また、国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質を養うことを目的として行われるものとする。
教育基本法で教育の目的・目標は、第一条(教育の目的)、第二条(教育の目標)、第五条(義務教育)、第六条(学校教育)に書いてある。うんざりするほど書いてある。それだけある中で、学校教育法の小中学校の目標は「第五条の目的を実現するため」として、義務教育の目標の中に移行させてきた。これは、第五条の目的が、もっとも包括的で無難なものであるためだと思われる。
いっぽう、教育基本法にはこういう条文もある。教育基本法第六条(学校教育)第二項は、
2 前項の学校においては、教育の目標が達成されるよう、教育を受ける者の心身の発達に応じて、体系的な教育が組織的に行われなければならない。この場合において、教育を受ける者が、学校生活を営む上で必要な規律を重んずるとともに、自ら進んで学習に取り組む意欲を高めることを重視して行われなければならない。
今回の学校教育法改正案がこの第六条を直接取り込まなかったのは、現実的には見識だと思う。
学校の規律の問題も意欲の問題も、現実問題として先生たちはいつも悩まされているのだから、法律で言わなくても学校はなんらかの対応をするに決まっているのである。対応できないとしたら、特殊事情を抱えていたり、人材やノウハウやコミュニケーションが不足しているためなのだから、その手当を考えたほうがよい。
しかし、法制上は教育基本法第六条が「学校教育」についての条文なのだから、第六条を優先させる必要があるであろう。またもっと教育基本法一条の目的、二条の目標に沿わなくてもいいのか、という問題もある。教育目的の法定自体を疑ったほうがよいと思う。
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